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ALS嘱託殺人被告:京都府警、10年前の「遺体なき父親殺人」立証へ高いハードル

写真と文=粟野仁雄/ジャーナリスト
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捜査本部が置かれている京都府警中京署

 事実なら仰天である。恐るべき「悪魔の殺人医師」としか言いようがない。

 京都府警は5月12日、2019年11月に京都市中京区のマンションに住む筋萎縮性側索硬化症(ALS)の女性(当時51)の依頼を受けて薬物を投与して中毒死させたとして、昨年8月に嘱託殺人罪で京都地検から起訴されている大久保愉一被告(43)、山本直樹被告(43)を、10年前の別の殺人容疑で再逮捕した。さらに山本被告の母親で長野県軽井沢町に住む無職・淳子容疑者(76)を同容疑で逮捕した。

 調べでは11年3月5日、3人は共謀して淳子容疑者の夫、つまり山本容疑者の父親、靖さん(当時77)を長野県内の病院から東京都中央区のアパートに連れ出して、その日のうちに薬物投与などの方法で殺害したとみている。京都府警捜査一課は3人の認否は明かしていない。

父親の診断書を偽造、司法解剖もなし

 2人の医師は死亡診断書を偽造し、死亡届は淳子容疑者の名で中央区役所に提出している。当時、事件性はまったく疑われなかったため、靖さんの遺体は司法解剖なども行われずに火葬されてしまった。診断書には2人の共通の知人の医師の名があったが、その医師は「まったく覚えがない」と話し、書かれていた勤務先の診療所も架空だったという。

 捜査本部が昨年、京都の事件で大久保容疑者と山本容疑者のパソコンの通信記録を調べていたところ、靖さんが死亡した前後に殺害をほのめかすやり取りが見つかった。さらにその一部は淳子容疑者にも送られていた。靖さんが入院していた長野県の病院の主治医に問い合わせたところ、当時の靖さんはすぐに容体が急変するような状態ではなかったと回答したという。

 山本容疑者は「都内の病院に転院させる」と言って父親の靖さんを退院させたが、「転院先」とされた東京都中央区の病院に問い合わせても、入院の手続きなどもなかった。捜査本部はその後、任意で淳子容疑者から聴取していたが、殺害計画を知っていたようなことを供述したという。

 さらに、靖さんが死亡する5日前に、山本容疑者が中央区のアパートを約1カ月の短期契約で借りていたことがわかった。捜査本部はここで靖さんを殺害し、遺体を安置、処理したとみている。

 山本容疑者は関西出身、東京医科歯科大学を中退して海外留学をしたあと、都内で泌尿器科クリニックを開設していた。しかし父親の靖さんが死亡した頃はまだ前年に医師免許を取ったばかりだった。長野県の病院の主治医が靖さんに「胃ろう」を施そうとした際、「なんで長生きさせるのか」と反発したという。

 大久保容疑者は青森県の弘前大医学部を卒業して医師免許を取得。技官として厚生労働省の老健局で7年半ほど勤めて退職、呼吸器内科医として東北地方の複数の医療機関に在籍した後、宮城県名取市にクリニックを開業している。

ブログなどで「安楽死屋さんになろう」

 山本容疑者と大久保容疑者は学生時代から医療関係のサークルで知り合ったとみられる。両容疑者は『扱いに困った高齢者を「枯らす」技術』という電子書籍を共著で出版するとしていた。大久保容疑者のブログやツイッターには、「『日々生きていることが苦痛だ』という方には、一服盛るなりしてあげて、楽になってもらったほうがいいと思う」「バレると医師免許がなくなる。訴追されてプーになるリスクを背負うのに、ボランティアではやってられない」「まじめに安楽死屋さんになろうか…」などと記されている。 

 山本、大久保両容疑者は19年9月に、スイスで安楽死を希望していた20代の日本人女性の難病患者の診断書(英語)を偽造していたとして、有印公文書偽造罪でも起訴されている。

 2年前の京都の事件では、ALS患者の女性の主治医でもない2人は、遠方からの交流サイトのやり取りで知り合っただけの中京区の女性のマンションに現れ、女性を殺害して立ち去り、報酬130万円を振り込ませていた。まるで忍者のような「殺人請負医師」だったが今回、まさか実の父親を、ではある。

高い殺人立証のハードル

 とはいえ、新たな「山本靖さん殺害事件」は現時点でみる限り、状況証拠ばかりだ。ALS患者の女性のケースでは、遺体から薬物が検出されるなど明確な物証もあったが、10年前の靖さんのケースでは遺体は火葬されてしまい何も残っていない。「遺体なき殺人」で、病死ではないという証明や、殺害動機の特定などができるのか。東京のアパートはまだあるが、遺留品発見や指紋検出などができるのかどうか。山本容疑者は医師仲間へのメールで「父親の存在が周囲を不幸にする」などと書いていたというが、殺害を企図するまでの怨恨だったとすれば、原因がなんだったのかもよくわからない。

 実際、関西を舞台に筧千佐子被告(74/京都地裁、大阪高裁で死刑判決。最高裁に上告中)が9人の年配男性を毒殺したとみられた「後妻業殺人」で知られる連続不審死事件では、多くの案件が物証不足となって京都地検は立件を断念、殺人罪などが立件できた被害者は4人にとどまっている。

 甲南大学名誉教授の園田寿氏は言う。

「どんな薬をどれだけの量投与したのかが証明されなくてはならない。投与しても、それが効くまでに心臓発作などで死んだら殺人未遂にしかならない。靖さんがひょっとして『殺してくれ』と言っていれば嘱託殺人にとどまる。共犯者とされる淳子容疑者の供述次第では状況証拠だけで立件できる場合もあるが、かなり難しいのでは」

 記者会見では「古い事件なので慎重に進めている」として質問にほとんど答えなかった京都府警の捜査が、高い立証のハードルを本当に乗り越えられるのかどうか、注目したい。

粟野仁雄/ジャーナリスト

粟野仁雄/ジャーナリスト

1956年生まれ。兵庫県西宮市出身。大阪大学文学部西洋史学科卒業。ミノルタカメラ(現コニカミノルタ)を経て、82年から2001年まで共同通信社記者。翌年からフリーランスとなる。社会問題を中心に週刊誌、月刊誌などに執筆。
『サハリンに残されて−領土交渉の谷間に棄てられた残留日本人』『瓦礫の中の群像−阪神大震災 故郷を駆けた記者と被災者の声』『ナホトカ号重油事故−福井県三国の人々とボランティア』『あの日、東海村でなにが起こったか』『そして、遺されたもの−哀悼 尼崎脱線事故』『戦艦大和 最後の乗組員の遺言』『アスベスト禍−国家的不作為のツケ』『「この人、痴漢!」と言われたら』『検察に、殺される』など著書多数。神戸市在住。

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