ロス五輪の鉄棒金メダリストの森末慎二氏はテレビ番組で、ボイコット騒動の時は会場に来ている選手に出場させない他チームのコーチや監督らがマスコミから批判されて、偏向採点は大きくは報じられなかったと振り返る。さらに、朝日生命による選手引き抜きについて、次のように語った。
「地方の体操クラブのコーチや監督が、手塩に掛けて選手を育てて、やっと芽が出てきてこの選手がナショナルチームに入って、一気に行こうと。そこの選手がナショナルチームに入ると、クラブには入会希望者が集まって経営だっていい状態になっていく。そのちょうどいいところをスっと朝日生命にさらわれてしまうので」
「当時は朝日生命には強い選手がたくさんいたので、そこに勧誘されれば選手は移籍したくなってしまいますよね。オリンピックに近づくのであれば、家族共々動いてしまう」
協会は速見コーチに驚くべき厳しい処分を課した。しかし、時系列を見ても「初めに排除ありき」で宮川選手を朝日生命クラブに引っ張り込もうという魂胆が透けて見える。宮川選手は大学へ行かず、小さな「セインツ体操クラブ」の速見コーチと二人三脚で鍛えてきた。千恵子氏は過去の例からも「朝日生命に誘えば来るに決まっている」と高をくくっていただろう。速見コーチとの絆の深さは計算違いだった。
訴えを取り下げた速見コーチ
一方、地位保全の訴えを裁判所に起こしていた速見コーチが8月31日に突然、訴えを取り下げ、全面的に処分を受け入れ反省する旨を明らかにした。「裁判所で協会と争うことは選手ファーストではない」とコメントしているが、一部では「自己保身から協会にすり寄ったのでは」ともいわれている。具志堅副会長は「できるだけ早く通常の手続きで登録してもらいたいとの思いでいっぱい」と協会に戻したい意向を示唆している。
速見コーチの暴力について、宮川選手は、かつて頭を叩かれたり髪の毛を引っ張られたりする暴力をかつて受けたことを認めたが、「気を抜いていると危険な時に叩かれた」とした。そして、協会が処分理由とした「髪を掴んで引きずり回した」「馬乗りになった」などの激しい暴力は否定した。森末氏は「速見コーチの暴力については検証し直すべき」とする。現に速見コーチは暴力が問題視されてセインツ体操クラブを追われている。
「私は18年しか生きていませんが、今、人生のなかで一番勇気を出してここに立っています」と会見で話した宮川選手。同情を誘う涙すらみせない精神力も相当のものだ。千恵子氏について「立場は(体操)女子のトップのなかのトップ。ある程度のことはなんでも決められ、采配できる」とするバルセロナ五輪などのメダリストの池谷幸雄氏は、宮川選手の会見について「勇気がいること」「素晴らしい会見だった」と高く評価している。
さて、アマチュアスポーツ界でなぜこのようなことが相次ぐのか。東京五輪を前に有力選手を抱えれば、協会には大きな補助金が入る。その補助金をめぐって、さまざまな組織や人の思惑が蠢いているのだ。スポーツジャーナリストの長田渚左氏は「宮川選手のような優れた選手が、おかしな動きで潰されてしまうとしたら、こんなに悲しいことはない」と憂える。宙返りしてしまった体操界。一体、どこへ着地するのか。
(文=粟野仁雄/ジャーナリスト)