サマータイム導入はこれまで、1995年、1999年、2005年、2011年の4回試みられていたが、すべて法案提出は断念され、失敗に帰している。この意味では、自民党にとっては、サマータイム導入は悲願なのであろう。
実は日本でもサマータイムを導入していた時期がある。敗戦後の占領統治時代の1948年~1951年までの3年間、GHQ主導で導入していた。夏時刻法という法律を制定し、標準時刻に1時間を加えたタイムゾーンを採用し、5月の第1土曜日から9月の第2土曜日までの期間を夏時間としていた。1952年の講和条約発効前に、この夏時刻法は廃止された。諸説あるが、廃止の大きな理由は、当時の日本では人口の大半は農業で生計を立てる農家であり、太陽の動きに合わせて生活をしてきた彼らは、夏時刻による1時間の時間変更に馴染めず不評であったというのが廃止の最大の原因といわれている。
では、自民党が執着するサマータイムの導入目的とはなんであろうか。それは、省エネと経済効果であるようだ。省エネに関しては、エアコンの利用が広がった今、サマータイムを導入しても省エネどころかエネルギー消費が増えるといわれているので説得力はない。
もう一つが、日没の時間が遅くなることによる経済効果である。しかし、“飲み屋”での消費が大きい日本では、夜の時間の短縮は経済的にマイナスの効果をもたらす。明るい時間を長くすることで日中の消費が増えたとしても、当然、その分だけ夜の時間が短くなり夜の消費は減る。時間当たりで日中消費のほうが夜の消費よりもよほど大きくない限り、大幅な消費増にはならないであろう。つまり、大きな経済効果は期待薄といえる。
しかし、経済成長がお題目の政治家にとって重要なのは、「経済効果がある」と主張することなのである。政治家と官僚(特に経産省)が「日本のGDPを伸ばすには、その6割近くを占める個人消費を増やさなければならない、それが我々のミッションである」と考えているのであろう。不発に終わったプレミアムフライデーも、この発想がベースにある。経産省としてはあの手この手で個人消費を増やすのに必死であり、そこでサマータイム導入の議論に飛びついたといえよう。
経産省にとっては、「経済成長のために矢継ぎ早に経済対策をしています」と国民に見せることが重要なのであり、その対策が実際に経済効果をもたらすかは彼らにとって重要ではない。実際、政策失敗の屍が累々であるが、その責任を取ろうとは露ほども思っていない。