――「56年宣言」の解釈すら日本は誤ったのですか。
岩下教授 誤ったというより、自分の解釈を相手も共有して当然と思い込んでいた。ここまでやろうとした以上、2005年の小泉・プーチン会談のような決裂では困る。「手紙の演出」で安倍首相が元島民に寄り添ったような美談を仕立て、領土に触れない声明を「成果」とした。
先にも触れましたが、根室市の会見場で元島民も共同記者会見のテレビ中継を見守りましたが、会見席の3人はすぐ感想を述べずに、退席してしばらく協議をしました。退席と手紙との関係はわからない。ただ、元島民はトップ会談のたびに何度も裏切られ、今回の「成果なし」は予想もできたはず。会見した千島歯舞居住者連盟の脇紀美夫理事長は手紙に署名した一人ですが、「こういうふうに使われたのか」と歯噛みしたのでは。
「成果ゼロ」の結果を恐れた官邸は、プーチンをあまり刺激したくなかった。共同経済活動だけでは弱いし、ロシアがどうこれに応えるかもわからない。だから元島民の手紙を使って、今回の会談の成果とみせたかったように思います。
会見で連盟の河田(弘登志)副理事長が「主権を棚上げにした経済活動とはいかがなものか」と怒りを見せました。河田氏は外に向かっては四島返還論を主張する強い方だと私は考えています。主権を棚上げにする交渉を外務省が進めない間隙に、経産省筋が入りこんだ。今井尚哉首相秘書官が外務省のロシアスクールを外したとのニュースもあります。興味深いのは、トップ会談の後、異動の季節でもないのにロシア課長など外務省の交渉の担い手が替えられた。新しい課長はロシアスクールのエースともいわれる(編注:その後、同課長は私事により停職となり職を解かれた)。この人事をみて、官邸そのものも会談が「成功」ではないことを自覚しているように感じました。
これから政府は墓参でも共同経済活動でも一生懸命、交渉して、多少なりとも具体的な進展をみせようとやっきになるでしょう。世論に対して「動いている」ように見せることが肝要ですから。でも、私は首相が「プーチンを信じる」ということが信じられません。
「四島返還は終わった」
――安倍首相の言う「解決」とは、返還ではないのでしょうか。会談の評価は?
岩下教授 私の評価は「墓標」です。少なくとも「四島返還は事実上、あきらめました」と宣言したに等しい会談だと考えます。今後は二島をめぐる交渉になり、色丹を「高く買わされる交渉」。歯舞プラスアルファ、あるいは二島マイナスアルファの段階に入りつつあります。択捉・国後は論外。もちろん四島に関しては返還交渉も返還運動も終わりの始まりだと思います。元島民のなかには表では「四島」と言っても、内心あきらめている人、ひとつでもふたつでもいいと思っている人も少なくない。さらに元島民一世と違い、二世の多くは返還よりも、往来や交流でいいと考える人も多い。
皮肉ですが、運動も交渉も「四島返還は終わった」という意味では、今回の会談は結果として歴史的な道筋をつくったのです。必ずしもこれは首相の意図ではないでしょうが、四島をあきらめ、現実的な領土返還の道筋をつくる「偉業」をなし得たと後世に評価されるかもしれません。もっとも、
政府の立場はいまだ択捉・国後は日本の「固有の領土」。その領土をあきらめたということになりますから、尖閣など他の領土問題への波及が気になります。
――岩下先生はロシアが中国に領土を返還した経緯から、独自の解決案をお持ちですね。
岩下教授 かつて歯舞、色丹、国後の「三島返還論者」と評されたこともありますが、少し違います。当時の私は「二島プラスアルファ」が持論でした。ただ今の私の解決案は三島でも二島でもありません。色丹島には3000人のロシア人がいるので断念し、代わりに国後の一部の警備隊しかいない地域をもらうことを提案したい。
昨年暮れの元島民の手紙などの仕掛けは個人的には許せませんが、大局的に考えれば「択捉・国後はない」という方向へ政策を転換させたとすれば、領土問題解決のきっかけになるかもしれない。ただ色丹をどうするのか、厳しい交渉は続くでしょう。
(構成=粟野仁雄/ジャーナリスト)