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慈恵医大の闇を関係者が内部告発(前編)…週刊誌からも叩かれた理事長ワンマン体制の歪み

文=兜森衛
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慈恵医大の闇を関係者が内部告発(前編)…週刊誌からも叩かれた理事長ワンマン体制の歪みの画像1職員からの必死の訴えをどう受け止めるのか?

 慈恵医科大学がHPに「東京慈恵会医科大学医学部医学科の入学者選抜について」を掲載したのは昨年の12月21日。編集部宛てに慈恵医科大学職員と名乗る人物から内部告発のメールが届いたのは、平成最後の新年が明けた松の内のことだ。メールは冒頭から、HPに掲載した文書で「不正入試はない」と言い切った大学側に対する、こんな明確な反論の言葉で始まっていた。

「慈恵医大の入試は、公には男女差別・多浪差別、OB子弟差別はないとしているが、多浪差別、OB子弟差別は実施されている。OB子弟は一次試験合格者であれば、ほぼ自動的に合格で、二次試験で不合格にならないシステムとなっている。OBから連絡があれば、担当者が対応をすることになっており、『差別はない』と堂々と宣言する慈恵医大は世間と受験生を欺いている」

 そこで、我々はこの人物と会い、慈恵医科大学職員であることを確認した上で、あらためて話を聞いてみた。その声の一部は、2月9日付当サイト記事(『慈恵医科大学が不正入試問題に関して、不可解な告知を掲載…「虚偽の説明、背後に深い闇」との声が】)で報じたが、同職員の主張はそれにとどまらない。

「昨年12月2日付の『サンデー毎日』に『名門慈恵医大病院に何が起きているか』という記事が掲載されました。記事は、学校法人慈恵大学のガバナンスの崩壊、医療収入の低下、ロイヤリティの激減などを明らかにするもので、記事を読んでその通りだと思いました。この記事については、理事会でも一部理事が厳しく糾弾したそうですが、理事長は『サンデー毎日など相手にしません』と発言して終わったそうです。ただしその後、入試に不正はないとあえてHPで告知したのは、執行部が記事に焦っていることの裏返しではないかと感じました」

 ここで、「サンデー毎日」の記事について触れておこう。タイトルは『業績は停滞、VIP患者も離れ…名門慈恵医大病院に何が起きているか』。緻密な取材で知られるジャーナリストの森省歩氏による署名記事だ。記事は冒頭で、7月に病死した学校法人慈恵大学専務理事の高木敬三氏の通夜(8月8日)が、台風13号による暴風雨にもかかわらず、およそ1000人の参列者が駆けつけたこと、会場の桐ヶ谷斎場周辺の道路が車で大混雑したことに触れ、故人の生前の人柄を偲ばせた。
 
 慈恵医大こと東京慈恵会医科大学は、1881年(明治14年)に創立された成医会講習所が起源。日本の私立旧制大学の中で元も古い単科大学で、慶應義塾大学医学部、日本医科大学と並ぶ私立医科大学御三家のひとつ。創立者は海軍軍医総監だった高木兼寛で、脚気の撲滅に尽力した「ビタミンの父」であり、麦飯と海軍カレーの生みの親であることから「麦飯男爵」とも呼ばれた。日本最初の医学博士号授与者としても知られる。高木敬三氏はその直系の4代目にあたる。

「サンデー毎日」の記事はさらに、この高木氏の死去により、松藤千弥学長(59)と栗原敏理事長(72)による長期政権がより盤石なものになる可能性を指摘。理事長選任規定を廃止し、今年3月で任期が切れる後も、松藤学長の再指名により栗原氏の理事長続投が決定していること。15年以上に及ぶ栗原体制の影響で、医師、看護師、職員のモチベーションが低下。それが西新橋にある慈恵医科大学付属病院(本院)の患者数、入院患者数、手術件数の減少につながっていることを、多くの慈恵医大関係者の証言から明らかにし、「名門・慈恵大を今後も統べることになる栗原理事長には、これらの率直な声にぜひとも耳を傾けていただきたい」と結んでいる。

栗原氏は、不祥事を受けて理事長に就任

 栗原敏理事長とは何者なのか。1971年に東京慈恵会医科大学を卒業。臨床には進まず基礎医学へと進み、1986年に教授(第2生理学)に就任。その後、2001年4月に第10代学長に就任した。慈恵では学長が原則として理事長を兼務するが、栗原氏は前学長兼理事長の岡村哲夫氏を理事長に指名し、自らは理事となった。その翌年の2002年11月、慈恵医大を奈落の底へと突き落とす医療事故が発生する。慈恵医大青戸病院事件である。

 当時まだ難易度の高い腹腔鏡手術を、まったく経験のない医師3人がマニュアルを見ながら行った、手術とは名ばかりの人体実験である。患者は前立腺がんの60歳の男性で、手術中に出血したまま輸血もされず、手術終了後に脳死状態となり、意識を回復しないまま1カ月後に死亡した。医師3人は業務上過失致死罪で執行猶予付きの有罪判決を受けた。

 この責任を取るかたちで岡村理事長が退任し、2003年8月から栗原学長が理事長を兼務した。慈恵医大への信用は失墜。患者数が激減し、医療収入も赤字に転落。栗原氏はこの最悪の時期に理事長に就任した人物である。しかし、その後は右肩上がりに業績は回復。2012年、悪名とどろく慈恵医大青戸病院は建て替えられ、葛飾医療センターとして生まれ変わった。

「理事長として慈恵医大青戸病院事件、ノバルティス事件(後述)、科研費不正事件(同大講師が11年にわたり約7000万円の文科省の科研費を不正受給していた問題。2014年に発覚)などを乗り越え、栗原氏は15年も理事長の座に居座っている。定年で学長退任後も理事長として残るため、7年前に子飼いの教授を学長に据え、自分を理事長に指名させた。これで、学長が再選され続ける限り、『理事長傀儡政権』による長期支配体制が確立し、余人に代えがたい高木専務理事の求心力を弱め、静かなるクーデターを完遂したんです。そこにさらなる追い風で、高木専務理事が逝去された。理事長を学長が指名できる内規を利用して、この先も理事長の座に留まるつもりです。理事長選任規定には理事長は在任中75歳を超えないこととありましたが、この内規も廃止してしまった。

 また、顧問弁護士は高校時代の友人で、大学のためではなく、栗原理事長のための助言をしている。これでまともな経営ができるはずがないんです。慈恵の執行部での密室政治は、医療現場での真実の訴えを封じ込め、がんばっている医師たちの疲弊が強まっています。患者数減少は、無策の慈恵に対して、ライバルの順天堂ががんばっているからです。外来受付スタッフのホスピタリティレベルの低下も顕著ですし、老害ともいえるお局病棟クラークなど、威勢のいい年配スタッフが幅を利かせており、改善の余地は山ほどあるのに、慈恵愛のない執行部はこれらを放置しているのです」(前出の慈恵医科大学職員)

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