2025年の万博開催地が大阪府大阪市に決まったのは18年11月。早くも心配されているのが、莫大な予算を注ぎ込まれてつくられた会場や設備が開催後にうまく利用されず、負の遺産と化してしまうことだ。
そんな大阪万博の問題点や過去の事例について、経済ジャーナリストの荻原博子氏に話を聞いた。
万博の跡地やインフラが負の遺産になる理由
万博は正式には「国際博覧会」と呼ばれ、国際博覧会条約(BIE条約)に基づいて複数の国が参加する博覧会のことを指す。万博には「登録博」と「認定博」があり、「登録博」は規模が大きく、1970年の大阪万博と2005年の愛・地球博が該当する。「認定博」は各国政府がさまざまな目的から開催する比較的小規模なもので、日本においては沖縄海洋博(1975年)、つくば科学博(85年)、花と緑の博覧会(90年)などがある。
2025年の大阪万博は規模の大きい登録博であり、開催による経済効果も見込めるとうたっているが、荻原氏の意見は手厳しい。
「大阪府は深刻な財政難に陥っています。今回の開催予定地である夢洲を市が約3000億円もの巨費を投じてつくり始めたときから、それは始まっています。また、05年の愛知万博を強力にバックアップしたトヨタグループのような企業もまだ見当たらず、この景気が悪いご時世にスポンサーが集まるのかも未知数。経済効果どころか、無事に開催できるかどうかも危ぶまれる状況なんです」(荻原氏)
この経済効果には、イベントの開催中だけでなく、後に残る施設などを有効活用するということも含まれるが、日本ではそれもあまりうまくいっていないのが現状だ。
1970年の大阪万博が行われた大阪府吹田市の千里丘陵は、現在「万博記念公園」として整備されている。スポーツ施設やレジャー施設などもあり、2015年には複合施設も建設された。つくば科学博のメイン会場跡地は工業団地に転用され、その他の跡地は「科学万博記念公園」として利用されている。愛・地球博の跡地も公園として再利用されているが、この「万博跡地の公園整備」について、荻原氏は以下のように語る。
「万博の跡地利用をろくに考えもせず、どんどん工事を進めて、無用の箱モノと赤字がかさむばかりのインフラをつくっています。そして、後からどう利用するかを考えてもまとまらず、結局は公園に落ち着いてしまいます。万博開催には広大な敷地が必要なので、会場はどうしても郊外になってしまい、交通インフラの整備にも莫大な費用がかかる上に、開催後は利用者が激減するので、負の遺産化してしまうのです」(同)
愛・地球博の際に建設されたリニアモーターカーの愛知高速交通東部丘陵線(リニモ)は存続すら危ぶまれていたが、愛知県などが08年から16年までに総額200億円を超える支援を実施して、なんとか営業を続けている。また、会場跡地の「愛・地球博記念公園」の維持費は年間10億円で、そのうち6億円は税金で賄われているという。
万博後に夢洲でカジノ開業の野望も空振りに?
海外で開催された万博は、イベントそのものの失敗が目立つ。00年に開催されたドイツのハノーバー万博は入場者数が予想の半分に満たず、約1200億円の赤字を抱えて閉幕。1992年のセビリア万博や98年のリスボン万博では、政府や自治体が数百億円規模の赤字を負担したという。