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片田珠美「精神科女医のたわごと」

大阪ビル放火、なぜ谷本容疑者は他人を巻き添えに無理心中?無差別殺人が頻発の背景

文=片田珠美/精神科医
大阪市北区・ビル放火事件
大阪市北区・ビル放火事件

 大阪市北区の「西梅田こころとからだのクリニック」から出火し、24人が死亡した放火殺人事件で、大阪府警は放火犯を、このクリニックに通院していた61歳の谷本盛雄容疑者と特定した。

 出火後、谷本容疑者が逃げるようなそぶりはなく、むしろ火に向かっていくような動きを見せる様子が防犯カメラに映っていたという。したがって、谷本容疑者は、もともと自殺願望を抱いていて、クリニックの医師やスタッフ、通院患者などを道連れに無理心中を図った可能性が高く、「拡大自殺」と考えられる。

 谷本容疑者は、約10年前、2011年4月にも長男を包丁で刺したとして殺人未遂容疑で逮捕されている。2008年に離婚した谷本容疑者は、離婚後1人暮らしの寂しさから元妻に復縁を申し込んだものの断られ、孤独感が募って、次第に自殺を考えるようになったようだ。しかし、1人で死ぬのは怖かったのか、“働かず元妻に迷惑をかけている”という理由で長男を道連れにしようという考えが浮かび、元妻と息子2人が暮らしていた家で、長男の頭部周辺を何度も出刃包丁で刺した。裁判では、家族を道連れにするのは「家族に対する甘え」とみなされ、懲役5年が言い渡された(「文春オンライン」12月18日配信)。

 こうした経緯を振り返ると、谷本容疑者はもともと自殺願望を抱いていた可能性が高い。服役して出所後は、さらに孤独感を深めたようで、「1人ぼっちだと、悩みを打ち明けていた」との証言もある。この孤独感、そしてそれによる厭世観と絶望感が自殺願望に拍車をかけたことは十分考えられる。

 問題は、自殺願望を抱いている人が、なぜ他の誰かを道連れにして無理心中を図るのかということだ。巻き添えにするのが今回のように赤の他人のこともあれば、愛する親や子、あるいは配偶者のこともあるが、なぜおとなしく1人で自殺しないのかという疑問を誰でも抱くだろう。そこで、今回はこの問題を分析し、「拡大自殺」の根底に潜む病理を明らかにしたい。

自殺願望は反転したサディズム

 そもそも、自殺願望は、たいてい他人への攻撃衝動の反転したものである。重症のうつ病では自殺願望がしばしば出現するが、最初は他の誰かに向けられていた攻撃衝動が反転して自分自身に向けられるようになった結果芽生えたとみなすのが妥当だと思う。

 これは私だけの見解ではない。たとえば、M・ベネゼックは「うつ病患者の自殺は、サディズムが反転して自分自身に向けられた証拠である。これは、他の誰かを殺そうとする意図なしに自殺することはありえないという説の裏づけになる」と述べている。さらに、M・グットマッハーも、「自分自身の殺害は、憎しみの対象である誰かを象徴的に殺す行為」であり、とくに「抑うつ的な人間の自殺は、しばしば両親のどちらか一方の殺害として解釈される」と述べている。

 実際、自分自身の生命を犠牲にする究極の自己懲罰によって、もともと憎しみや敵意を抱いていた対象への復讐を果たそうとする意図が、自殺を図る人の胸中にまったくないとはいえない。だから、自殺願望を、怒りや敵意を直接示すことがはばかられる相手に対する攻撃衝動の反転したものとしてとらえるのは妥当だと私は思う。

自殺と他殺を分けるのは復讐願望

 このように、自殺願望を理解する鍵になるのは、他人への憎しみや敵意、怒りや攻撃衝動なのだが、逆の流れも当然起こりうる。自分自身に向けられた破壊衝動が反転して他人に向けられると殺人を犯すことになる。

 そもそも、攻撃衝動の矛先が誰に向けられるかは非常に流動的である。自傷行為を繰り返す患者を長年診察していると、攻撃衝動が自分に向いて自傷行為や自殺未遂が頻発する時期と、攻撃衝動が外部に向けられて暴力や暴言を繰り返す時期が交互に出現することに気づく。

 このように、怒りや攻撃衝動の鉾先が自分と他人との間を行ったり来たりするのはよくあることで、それが自分自身に向けられると自殺や自傷、他人に向けられると殺人や傷害の形で表面化する。

 それでは、怒りや攻撃衝動が自分自身と他人の間を行ったり来たりするとき、自殺に向かうのか、それとも他殺に向かうのかを決定する要因は一体何なのか? これは、復讐願望の強さにほかならない。

 最近頻発している無差別殺傷事件からは、犯人の「少しでもやり返したい」「一矢報いたい」という願望が透けて見えることが少なくない。しかも、その胸中には、しばしば怒りも煮えたぎっている。これは当然ともいえる。古代ローマの哲学者セネカが見抜いているように、「怒りとは、不正に対して復讐することへの欲望」にほかならないからだ。

 見逃せないのは、このように怒りに駆られている人がしばしば自分だけが理不尽な目に遭っていると感じており、「不正に害された」と思い込んでいることである。谷本容疑者も、父親が経営していた板金工場を継げず、兄が跡を継いだことに不満を漏らしていたらしいので、「不正に害された」という思いがあったのかもしれない。腕のいい職人だっただけに、不満が一層募ったとも考えられる。

 ただ、客観的に見ると乗り越えられないほどの大きな困難ではなく、別の選択肢もあったはずなのに、「拡大自殺」を選んだのは一体なぜなのだろうと首をかしげざるを得ない。

 その一因として、強い被害者意識があるのではないか。何でも被害的に受け止めると、「なぜ自分だけがこんな目に遭わなければならないんだ」と怒りを募らせやすく、当然復讐願望も強くなるからだ。

 問題は、こうした被害者意識が日本で最近強くなっており、「自分だけが割を食っている」と感じている人が年々増加しているように見えることである。困ったことに、被害者意識が強くなると、「自分はこんな理不尽な目に遭っている被害者なのだから、<加害者>に復讐するのは当然だ」と思い込む人が増える。ここでいう<加害者>とは、本人が主観的にそう思い込んでいるだけで、客観的に見ると的はずれなことも少なくない。 

 たとえば、今回の事件の被害者であるクリニックの医師やスタッフ、通院患者などは、客観的に見ると<加害者>とは到底いいがたい。だが、些細な出来事をきっかけに谷本容疑者が「不正に害された」と思い込んで、凶行に走ったのかもしれない。被害者意識をよりどころにして、<加害者>への復讐を正当化しようとした可能性も十分考えられる。

 現在の日本社会では、個々人の被害者意識ますます強くなっているように見える。そのため、厭世観と絶望感にさいなまれた人が、「自分の人生がうまくいかなかったのは、これこれの<加害者>のせいだ」と思い込んで、<加害者>を罰して復讐を果たし、なおかつ自らの人生に終止符を打とうとする「拡大自殺」がますます増えるのではないかと危惧せずにはいられない。

(文=片田珠美/精神科医)

参考文献

片田珠美『無差別殺人の精神分析』新潮選書、 2009年

片田珠美『拡大自殺―大量殺人・自爆テロ・無理心中』角川選書、2017年

片田珠美/精神科医

片田珠美/精神科医

広島県生まれ。精神科医。大阪大学医学部卒業。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。人間・環境学博士(京都大学)。フランス政府給費留学生としてパリ第8大学精神分析学部でラカン派の精神分析を学ぶ。DEA(専門研究課程修了証書)取得。パリ第8大学博士課程中退。京都大学非常勤講師(2003年度~2016年度)。精神科医として臨床に携わり、臨床経験にもとづいて、犯罪心理や心の病の構造を分析。社会問題にも目を向け、社会の根底に潜む構造的な問題を精神分析学的視点から分析。

Twitter:@tamamineko

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