“出版界の風雲児”と呼ばれた角川春樹氏。1970年代後半から90年代にかけて、出版、テレビCM、映画、映画主題歌を連動させたメディアミックス戦略で一世を風靡した。『セーラー服と機関銃』(81年)の薬師丸ひろ子、『時をかける少女』(83年)の原田知世ほか、新世代のスターたちが角川映画から次々と誕生した。業界の枠にとらわれることなく、縦横無尽な活躍ぶりを見せた。
今世紀に入ってからも、戦艦大和を実寸大で復元させた『男たちの大和/YAMATO』(05年)、モンゴルロケを大々的に敢行した『蒼き狼 地果て海尽きるまで』(07年)など、スケールの大きな野心作を放ってきた。だが、決まっていた監督がクランクイン3週間前に降板するという不測の事態に陥った『笑う警官』(09年)の監督・脚本・製作総指揮を務めて以降、映画界とは距離を置くことになる。
そんな角川氏を、都内自由が丘にある「戸髙秀樹ボクシングジム STUDIO Bee」でキャッチした。2階級制覇の元世界王者・戸髙秀樹氏をトレーナーに、リング上でスパーリングを重ねているではないか。今、なぜボクシングなのか? 出版界の風雲児は、現在の出版不況をどう捉えているのか? 映画界への復活はあるのか? 現在77歳となる“生きる伝説”角川氏はスパーリングと同様に、それらの質問に実に軽快に答えてみせた。
——三池崇史監督作『神様のパズル』(08年)の公開時に、「月刊サイゾー」でインタビューさせていただきました。その頃は木刀よりも重たい木剣で1日2万5000回もの素振りをされていたわけですが……。
角川春樹(以下、角川) 木剣での鍛錬は1日7時間をかけて、最終的には3万3100回までやっていました。集中してやっていると、熱くなって止まらなくなってしまうんです。ある日、心臓に違和感を覚えたのですが、少し休むと落ち着いたので続けていたところ、心臓の一部が千切れて脳へと流れてしまった。脳血栓になってしまったんです。幸いなことに麻痺にはなりませんでしたが、医者からは「あと15分遅れていたら危なかった」と言われました。その3年後には、5時間30分もの心臓の手術を受けました。それ以来、体を動かすのが怖くなって自宅で静かに過ごすようになっていたんです。主治医からは散歩を勧められたんですが、散歩はちょっとねぇ(笑)。
——“闘う男”角川春樹氏が、街をのんびり散歩する姿は想像できません。
角川 よく行くカフェのママがキックボクシングを習い始めて、「角川さんもどう?」と誘われたんだけど、キックボクシングはキックが主体で、パンチはそれほどでもないんですよ。そんなときにうちの女房が、「どうせなら戸髙さんのジムに通えばいいじゃない?」と言ったんです。戸髙さんとは長渕剛を通して知り合い、2005年にオープンした戸髙ジムの特別顧問も私は引き受けていますからね。それで、2017年9月からボクシングのトレーニングを始めるようになったんです。週2回のペースで、戸髙ジムに通っています。やっぱりね、ボクシングは楽しいですよ。
——リハビリのつもりで始めたボクシングに、すっかりハマったようですね。大学時代にもボクシングをしていたと聞いています。
角川 大学時代は拳闘同好会でした。ちゃんとしたコーチなしで、練習していたんです。そのうち視力が落ちてきて、ボクシングは断念しました。そのときに悪い癖がついて、もともとはサウスポータイプだったんだけれども、ボクシングを再開してからはオーソドックスタイプにしました。今はどちらにもスイッチしてできるようになりました。戸髙さんをミット打ちのパーソナルトレーナーにしていると、何ラウンドでも打ち続けられます。2〜3時間やっても全然平気なんですが、うちの女房が心配するので練習は10ラウンドまでに抑えるようにしています(笑)。戸髙ジムは自由が丘という場所柄もあって、シニアの会員が多い。ほかのシニアの方たちにもおススメしますね。
——他のジムのシニア選手との試合も予定しているとのこと。
角川 やっぱり対戦相手がいたほうが、トレーニングにより気合いが入りますよ。相手のことをいろいろと研究して、練習しますからね。まぁ、シニアにはプロがなくてアマチュアの世界なんだけど、やるからには最強を目指したい。目指すは、シニア最強のボクサーです(笑)。戸髙ジムに通っていない日は、別のトレーンングジムで体を鍛えていますし、木剣を使ったストレッチも並行して続けています。木剣をやっていると踏み込みが鋭くなるんです。
角川春樹、後継者問題を語る
——70代を迎えた人間は守りに入るのが普通だと思いますが、角川氏は攻めまくっている印象を受けます。
角川 考え方が守りに回ったら、その人の人生も守りになってしまうものです。出版界においても、それは言えると思いますね。先日も親しくしていた中堅の書店が億単位の負債を抱えて倒産しました。書店や出版取次の倒産・廃業はもはや日常茶飯事です。そんな中で守りに入れば、どんどん失速していくだけです。うちの会社(角川春樹事務所)は「ポップティーン」「美人百花」の2つの月刊誌を出していますが、年末の「ポップティーン」は99.7%の売り上げでした。TSUTAYAでは102%でした。どうして100%以上かというと、追加入荷した分も売れたからです。業界全体で雑誌の売り上げが低迷しているなかで、角川春樹事務所だけが恐らく黒字なんです。「美人百花」編集部には社長命令でインスタを始めさせたところ、年末にはアラサー層のフォロワー数が女性誌で1位になりました。「ポップティーン」は「Popteen TV」というのをYouTubeでやっていて、月間再生回数は1621万回、フォロワー数は35万1226人になりました。守りに入らず、SNSの世界に攻め込むことで、SNSからも収入を得られるようになったんです。
——ネットユーザーを取り込みたいと考えてはいるものの、どうビジネスに結びつければいいのか考えあぐねている出版経営者が多いと思います。
角川 ネットの世界を出版にどう生かせばいいのか。感覚として、私はわかります。たとえば、フォロワー数の多い人気ユーチューバーをモデルにして、「ポップティーン」の表紙を撮っています。それと「高校生テレビ」と呼ばれている「AbemaTV」ですね。「Popteenカバーガール戦争」という企画をやっています。誰がカバーを飾るのか人気投票で競うわけですが、これが人気番組になっていて、番組が人気になることで、雑誌にも好影響を与えています。テレビCMは必要ありません。「ポップティーン」の主な読者は中高生たちですが、彼女たちはテレビをほとんど見ませんから。もちろん現役編集者としての仕事も続けています。企画会議は月に一度開き、編集方針や予算について話し合っています。カバーチェックもしていますし、新しい作家たちも育てています。
——“生涯現役”編集者を貫く角川社長ですが、後継者問題については、どう考えているんでしょうか?
角川 後任がいないという問題がないわけではないんですが、難しいのは「角川春樹事務所」という社名にしているので、経営者が変わった場合はどうすればいいかということ(笑)。ハルキ文庫もそうだし、「角川春樹小説賞」も私が選考委員をしないのも変ですし……。後継者の問題というのは非常に難しい。私の場合は50年以上も編集者としてキャリアを積んできたわけで、私以上に本を読み込み、その本の長所と短所を瞬時に見抜き、新しいアイデアを出せる編集者は出版界全体を見渡してもどこにもいないわけです。今日はこの後、講談社に行くことにしています。今秋から消費税が10%に引き上げられ、それに対して出版界はどう対応していくべきかについて話し合うつもりです。ほかの大手出版社にも呼び掛けているところです。
——これからの出版界の在り方は、角川春樹事務所だけの問題ではないと。
角川 当たり前のことですが、本そのものが無くなってしまうと出版界は成り立たなくなってしまいます。どうすればパイが小さくなるのを緩やかに抑えることができるのか。出版界全体で考えなくちゃいけません。図書館問題はひとまず解決したので、今はさまざまなコストダウンを試みているところです。去年からうちの会社では、売り上げスリップを外しました。書籍の売り上げ管理はできているので、本に挟むスリップはもう必要ないだろうと。本に入っている新刊案内も誰も読まないので、これもいらない。ちっちゃいことかも知れないけど、年間で3000万円のコストダウンにつながります。
——書店によっては抜き忘れられることも多い売り上げスリップ(補充カード)と新刊案内などの経費が、年間3000万円も要していたとは驚きです。
角川 これまでの習慣で続いていたものをひとつひとつ見直して、本当に必要なものかどうかを確かめないとダメです。それから出版界にとって大事なことは、町の本屋さんを守るということ。ほかの大手出版社は14%くらいですが、うちの社ではアマゾンへの出荷は5%に抑えています。AKB48などアイドル関連の写真集などはファンは恥ずかしがって本屋では買わないので、思い切ってアマゾンに託していますが、文芸書などは控えています。そうしないと町の本屋さんは守れない。それこそ、うちの社だけの問題ではない。このままではアマゾンに日本の出版文化は潰されてしまいます。実際にフランスをはじめとする欧州各国ではアマゾンに対する規制がありますし、米国では出版社同士が暗黙の了解で10%以上はアマゾンに出荷しないようにしています。日本にもそういうルールが欲しいなと思っています。もうひとつ、今の安倍政権では無理でしょうが、本を消費税の軽減税率の対象にするよう、次の政権かその次の政権には働き掛けようと考えています。
蘇える角川映画
——『笑う警官』の公開時に「150万人動員できなければ、映画製作は辞める」と公言され、その約束を守って10年がたちました。映画への想いも語っていただければと思います。
角川 映画はまたやります。昨年の創立記念パーティーで話しただけで、まだ配給会社も決まっていない状況ですが、製作準備を進めているところです。
——ハルキ文庫でシリーズ化され、380万部のベストセラーとなっている髙田郁の時代小説『みをつくし料理帖』の映画化でしょうか?
角川 そうです。何度かドラマ放送はされたんですが、キャストを一新したかたちで映画化します。原作の中に「食は人の天なり」という言葉があるように、単なるグルメものではない人間ドラマとして映画化するつもりです。『みをつくし料理帖』は、すでにテレビ朝日とNHKで二度ドラマ化され、知名度はぐんと上がっている。映画の完成までにさらに人気を高めた上で公開します。今回はハズすことは絶対できないので、慎重に戦略を練っているところです。メインキャラは澪と野江の2人いるのですが、それ以外はこれまで私が手掛けてきた映画に出演してきた俳優たちで固めるオールスターキャストを考えています。監督は私がやります。
——往年の角川映画の人気キャストが結集すれば、大変な話題になりますね。
角川 これもボクシングを始めた成果です。映画を監督するのは、大変な体力を要します。うちの女房が私に最後の監督作を撮らせようと、ボクシングを勧めたわけです。ボクシングを始めることで、肉体を鍛え直し、もう一度映画監督にも挑戦してみようという気になったんです。ボクシングもそうだし、編集者としてもそう。もう一度、映画もやります。すべてのジャンルにおいて、最年長の現役でありたいんです(笑)。
2011年に6度目の結婚をしている角川氏。40歳年下の奥さまから勧められて始めたボクシングで、すっかり気力と体力を取り戻したようだ。ラウンドを重ねるにつれ、ステップは軽やかに、パンチは鋭さを増していく。かつての角川映画は、鳳凰のロゴがオープニングを飾っていたことを思い出した。リング上で精力的に動く角川氏が、鳳凰ならぬ不死鳥のように思えた。
(取材・文=長野辰次/写真=尾藤能暢)
●角川春樹(かどかわ・はるき)
1942年富山県生まれ。角川春樹事務所社長兼会長。角川書店の社長時代に『犬神家の一族』(76)を皮切りに次々と映画を製作し、低迷期にあった日本映画界を支えた。草刈正雄主演作『汚れた英雄』(82)で監督デビュー。その他の監督作として原田知世主演作『愛情物語』(84)、時代劇大作『天と地と』(90)、北海道警汚職事件を題材にした『笑う警官』(09)などがある。
※取材協力
「戸髙秀樹ボクシングジム STUDIO Bee」
http://boxing-gym.jp/