個人の人権救済につながる個別恩赦
日本と同じように王室の慶事には国民の注目が集まるイギリスでは、罪や刑罰を定めて一律に行う大赦は、1930 年代以降、エリザベス2世女王の即位やチャールズ皇太子の結婚、フォークランド紛争終結など国家の慶事に際しても実施されていない。また、かつては大統領選の後に大規模な恩赦が行われていたフランスでも、2007年の大統領選以降、そうした恩赦は行われなくなり、後に憲法改正によって大統領が行えるのは個別恩赦に限定されることになった(国立国会図書館「恩赦制度の概要」による)。
大日本帝国憲法下では、恩赦は天皇の大権事項とされ、臣民に対する慈悲の施しでもあった。一方、日本国憲法下では「大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権」の認証は天皇の国事行為とされているものの、その決定権は内閣の職務権限となっている。
政府は、新たな天皇の即位にあたって恩赦を実施するのであれば、その意味を国民に説明する必要があるだろう。
ただ、恩赦の制度を丸ごとなくしてしまえばよいかというと、それほど単純ではない。
「政令恩赦のように、天皇の代替わりのようなイベントの時に行うものは、あまり意味がなくなっているだろうし、政治的に使われかねない。しかし、個人の人権救済につながる個別恩赦については、むしろもっと活用していい」
そう語るのは、福島至龍谷大教授。
「たとえば、無期懲役刑が確定して服役し、真人間になって仮釈放される人がいる。あくまで『仮』釈放なので、その後も無期懲役囚であることには変わりなく、保護観察の対象なので、いつまで経っても月2回保護司との面接が必要。この状態にピリオドを打てるのは、現行法制では恩赦しかないんです」
福島教授は、保護司でもある。その体験に基づいてこう指摘する。
「今は、無期懲役囚の仮釈放は厳しくなって、確定して30年経たないと検討対象にすらならない。更生して仮釈放となり、何十年も経って80代90代の老人になって、それでも保護観察の対象で選挙権もない。人道的な観点から、こうした者を救済することは、犯罪を犯した者の更生や社会復帰を促す、という意味で、もっと活用してよいと思います」
法務省もホームページで、政令恩赦を含めた恩赦の意味を、次のように説明している。
<裁判で有罪の言渡しを受けた人たちが、その後深く自らの過ちを悔い、行状を改め、再犯のおそれがなくなったと認められる状態になった場合などには、被害者や社会の感情も十分に考慮した上で、残りの刑の執行を免除したり、有罪裁判に伴って制限された資格を回復させたりということが行われます。
このように恩赦は、有罪の言渡しを受けた人々にとって更生の励みとなるもので、再犯抑止の効果も期待でき、犯罪のない安全な社会を維持するために重要な役割を果たしているといえます。>
個別恩赦に関しては、今回、注目すべき案件がひとつある。
1966年に静岡県清水市(現静岡市)で一家4人が殺害された事件で死刑判決が確定し、いったんは再審開始が認められた「袴田事件」の袴田巌さんも、「刑の執行の免除」を求める個別恩赦の請願を行ったのだ。袴田さんは、再審開始決定と同時に釈放されたが、高裁で再審開始が取り消され、最高裁で係争中。弁護団が再収監を避けたいとして、再審請求を続けながら恩赦の出願も行うことになった。
「硬直した司法が、いったん出した有罪判決を是正できずにいる時に、再審等の司法手続きとは別に、人道的な観点から救済措置を行うのは恩赦の役割のひとつ」と福島教授も指摘する。
海外の事例では、つい最近、ミャンマーでイスラム教徒少数民族ロヒンギャの取材を巡って国家機密法違反の罪に問われ、懲役7年の有罪判決を受けたロイター通信の記者2人が、恩赦によって釈放された、という報道があった。国際的な批判が高まり、ミャンマー政府が決断したのだろう。
冤罪の可能性が高い死刑囚の救済について、中央更生保護審査会がどのような判断をするだろうか。注目したい。
(文=江川紹子/ジャーナリスト)