ここでネックとなったのが、タストン社が滑走路の造成によって抱えた借金だ。ブローカーや金融業者が「国に高く売れるから」という勲氏の言葉を信じて資金をつぎ込み、タストン社の負債総額は240億円に膨れ上がった。
一方、防衛省は17年、馬毛島の評価額を45億円と鑑定。最低でも200億円ともくろむ勲氏とは、大きな開きがある。勲氏は400億円と吹っかけて揺さぶりをかけた。
18年6月、タストン社の債権者が破産を申し立てた。勲氏が社長でいたのでは、いつまでたっても売れないので、破産させて管財人の手で売却させようという計画と取り沙汰された。ところが、債権の3億7000万円が返済され、8月に破産が取り下げられた。その直後、別の2社が破産を申し立てたが、これも10月に4億2000万円が返済され、破産申し立ては取り下げられた。
破産を免れたのは、金融業者がスポンサーについたからだ。スポンサーの支援の条件が、「勲氏の退任と次男・薫氏の代表就任。それとスポンサーに交渉を委ねるというもの」だった。
18年10月に薫氏が社長に就き、交渉はトントン拍子で進んだ。19年1月、タストン社との間で「土地・建物の売買条件について大筋合意した」との報道が一斉に流れた。当初の鑑定額45億円の3倍強となる160億円で合意したと伝えられたのである。3月中の正式な契約締結を目指すとしていた。
これで馬毛島の買収問題は一件落着するものとみられた。だが、売却額160億円ではタストン社の負債240億円を返済できない。薫氏の交渉に不満を募らせた勲氏は、薫氏を解任して社長に復帰した。売却価格の引き上げを狙う。
160億円の価格を引き上げることは、国会で認められる可能性が低く、難しいといえる。そのため、タストン社の債権者との話し合いで160億円を支払ったうえで、残る80億円を債権者に払うことができないタストン社を破産させて幕引きを図るのが現実的な道筋だとみられる。実際にそのような説が永田町で流布したことに勲氏が猛反発したというのが、社長交代の“真相”とされている。
政府は、どう決着させるのか。「日米での合意を白紙に戻して、馬毛島以外の候補地を探すことはあり得ない」といわれており、打つ手は自ずと限られている。
5月7日付でタストン社は「交渉打ち切り」を文書で防衛省に通告した。「2月に立石勲社長が就任して以降、防衛省側が面会に応じず、前社長と防衛省との合意内容もできない」と主張している。
条件闘争なのか、本当に打ち切りなのかは、今後の推移を見ないと判然としないというのが、関係者の受け止め方である。
(文=編集部)