不倫隠ぺいに不可解な行動を取る巨大新聞社長 社長の不倫現場で遭遇した場面とは…
「いや、20年以上ご無沙汰だった」
「どうして、それが今日きたんですか」
「まあ、そう急くなよ。ゆっくり説明するから」
吉須が手を前に出して制したところで、格子戸が開いた。老女将がビールとグラスを持ってきたのだ。老女将は部屋に入ると卓袱台にグラスを置き、2人にビールを注いだ。深井に向けグラスを上げた吉須は、ビールをぐいっと飲んでから老女将に話しかけた。
「女将さん、今はどんな人が来ているの?」
「昔馴染みだった証券会社や新聞社の方々がたまに来ます。もう板場もありませんし、仕出しですから、お客さんがない週も多いですよ」
「今週はどうだったの?」
「電話でも申し上げましたが、今週は月曜日に新聞社の方々がお見えになっただけです。それはそうと、出前が届いたらどうします?」
「そうだね。蒲焼とお吸い物は後で温め直してご飯と一緒に持って来てくれるか。それから、出前が届いたら、白焼きなんかと一緒にお銚子2本とビール2本を持って来てよ」
老女将は頷き、部屋を出て行った。格子戸が閉まる音と同時に、深井が身を乗り出した。
「月曜日にここに来たのって、うちの松野ですか?」
「そうだよ。でも、もう一人いた可能性が高いんだ。誰か聞いたらびっくりするぞ」
「え、誰なんですか? もったいぶらずに話してくださいよ」
「順を追って話すから、そう急かすな」
●吉須が目撃した松野の不可解な行動
吉須は、2人で飲んだ月曜日の夜、深井と別れた後の行動を説明し始めた。
「あの日、リバーサイドホテルを出るとき、正面玄関でタクシーに乗ったよな。そのタクシーが松野さんの乗ってきた車だったんだ」
「あり得る話ですね。僕らがホテルを出ようとした時に、松野が入ってきたんですからね」
「俺は四ツ谷の自宅に帰るつもりだったんだけど、途中でホテルに引き返したんだ」
「え、どこまで行って引き返したんですか?」
「神田の岩本町まで行って引き返した。そうしたら、一生のうちに1回あるかないか、というような経験をしたんだ。それも2回もだぞ」
「一体、どんな経験をしたんですか?」
「偶然が偶然を呼ぶというか、なんとも言いようがないんだな」
吉須はホテルに戻り、25階でエレベーターを降りた時、バーから出てエレベーター待ちしていた香也子と思しき女性に出くわしたこと、そして、彼女が21階で降りたのを確認し、別のエレベーターに乗って戻ったこと、などを話した。
「21階で客室に入る姿は見たんですか?」
深井は目が吸い寄せられるようにして、話の先が待ちきれない気持ちを露わにした。吉須の方は、そんな深井の様子を見て、嬉しそうにわざとゆっくりした調子で続けた。
「別のエレベーターが来るのに少し間があったんだ。21階の廊下に人の姿はなかった」
「なんだ。がっかりですね。それは残念でした」
肩すかしを食らったように、深井は座椅子の背もたれに身を戻した。そして、天井を仰ぐと、格子戸が開き、老女将が白焼きや肝の串焼きを部屋に運んできた。すぐに部屋を出て、今度はビール2本とお銚子2本を持ってきた。
「それではごゆっくり。お食事の時は声をかけてください」
老女将が部屋を出て行くと、吉須はすぐに白焼きをうまそうに口に運んだ。だが、深井は料理に箸もつけずに続けた。
「確認はできていなくても、香也子なら松野の部屋に入ったとみて99%間違いないですね。21階で降りた後、吉須さんはどうしたんですか?」
「俺の乗ったエレベーターには誰も乗っていなかったんだ。それで、顔を出して廊下を左右見ただけで、そのまま一階に戻った。玄関にタクシーを待たせていたからね」
「でも、それだけじゃ偶然が偶然を呼ぶって感じじゃないですね」
「何を言う。松野さんの行動も不可解だし、それから先もあるんだぞ」
「え、不可解? 松野はどんな行動をしたんですか」
「運転手が言うには、松野さんはホテルから100メートルほど水天宮寄りの路地から出てきて、タクシーを止めたんだ。そして銀座の日航ホテル前に行け、と指示したんだけど、やっぱり途中でホテルへ戻ってくれ、と言われたらしいんだな」
「それは変ですね。リバーサイドが定宿なんだし、歩いて帰ればいいじゃないですか」
「そうだろ?」
(文=大塚将司/作家・経済評論家)
【ご参考:第1部のあらすじ】業界第1位の大都新聞社は、ネット化を推進したことがあだとなり、紙媒体の発行部数が激減し、部数トップの座から滑り落ちかねない状況に陥った。そこで同社社長の松野弥介は、日頃から何かと世話をしている業界第3位の日亜新聞社社長・村尾倫郎に合併を持ちかけ、基本合意した。二人は両社の取締役編集局長、北川常夫(大都)、小山成雄(日亜)に詳細を詰めさせ、発表する段取りを決めた。1年後には断トツの部数トップの巨大新聞社が誕生するのは間違いないところになったわけだが、唯一の気がかり材料は“業界のドン”、太郎丸嘉一が君臨する業界第2位の国民新聞社の反撃だった。合併を目論む大都、日亜両社はジャーナリズムとは無縁な、堕落しきった連中が経営も編集も牛耳っており、御多分に洩れず、松野、村尾、北川、小山の4人ともスキャンダルを抱え、脛に傷持つ身だった。その秘密に一抹の不安があった。
※本文はフィクションです。実在する人物名、社名とは一切関係ありません。
※次回は、来週10月18日(金)掲載予定です。