もはや言論人は存在しない巨大新聞社…唯一の例外“新聞業界のドン”は政界のフィクサー
太郎丸は2人にそう促すと、続けた。
「さっきの話じゃがな。吉須君の言いよることは違うぞ。わしは政界と官界には強いんじゃが、経済界は年とってからの関係じゃ。政界だって、わしは民社党だけじゃ。自由党は深井君には負けよるわな」
「会長、そんな謙遜したって駄目ですよ」
吉須は煮物椀に手を出していたが、その箸を止め、隣の深井をみた。
「そうですね。人脈が民社党に限られているなら“フィクサー”なんて渾名がつきませんからね。やっぱり、会長、謙遜です」
深井も吉須に平仄(ひょうそく)を合わせると、太郎丸は少し不機嫌になってもう1杯手酌すると、煮物椀に箸をつけた。
根っからの社会民主主義者とはいえ、太郎丸が長年、政権与党の座にあった自由党の派閥の領袖たちと疎遠だったわけではない。むしろ、駆け出し時代から、自由党の派閥の領袖たちのほうが積極的に太郎丸に接近してきた。国会の円滑な運営はもちろん、政策決定においても、野党の本音を把握する必要があり、太郎丸はそのパイプ役に最適だったのだ。
太郎丸はざっくばらんな性格で、誰に対しても言いたいことをずばずば言う。柄も顔も大きいが、くりくりした眼に愛嬌があった。大柄か小柄かの違いはあっても、深井同様にいつもにこにこしていて、痛いことを言われても憎めない雰囲気があった。
太郎丸に対抗心剥き出しの大都の烏山は本流の自由党担当だったにもかかわらず、派閥の領袖からは軽く見られていた。地位が上がっても、まともに相手にするのは陣笠代議士だけなのに、本人だけが影響力を持っていると勝手に思い込んでいる。ピエロのような烏山とは、似ても似つかぬ存在なのである。
●政官財を巻き込む企て
太郎丸は舞台裏などを明かす記事を書かない記者だった。書くのは節目節目に主義主張の明確な、大論文調の記事だけだった。それもあって、上司からは扱いにくい記者と見られていた。しかし、与野党の大物政治家たちから一目も二目も置かれる存在だったので、政治部の主流を歩ませる他に選択肢がなかった。
政治部一筋、与野党クラブ、官邸クラブのキャップを務め、政治部次長、政治部長、編集局長を経て主筆に就いた。常務・専務時代は販売や広告担当を兼務することもあったが、社長退任まで主筆の座にあり続けた。要するに、20年近く国民の編集部門の最高責任者だった。この間、東大同窓ということを武器に、政界だけでなく、官界はもちろん、経済界にも人脈を広げた。この広い人脈ゆえにフィクサーと綽名がついたのだ。
「お主らの言いよりたいことはわかっちょるぞ。じゃがな、今度、わしのやろうとしちょることはひとりじゃできんのじゃ。わしの人脈は高齢化しちょる。60代以下の若い世代はお主らのほうが強いんじゃ。それは認めよるな」
太郎丸は煮物椀を平らげると、居住まいを正し、2人を睨みつけるように質した。2人は煮物椀をテーブルに置き、太郎丸の眼をみた。その奥は笑っていた。
「でも、何をやるんですか?」
期せずして、2人は同じ言葉を発し、顔を見合わせ、破顔した。
「日本のジャーナリズムを死滅させんための仕組みを国家としてつくりよろう、と考えちょる。それには政官財に一致団結して取り組んでもらわにゃならん。わしの人脈をつかって根回しに動きよるつもりじゃが、お主らにも得意の分野で動きよって欲しいんじゃ」
「何をすればいいんですか?」
吉須が口を挟んだ。
(文=大塚将司/作家・経済評論家)
【ご参考:第1部のあらすじ】業界第1位の大都新聞社は、ネット化を推進したことがあだとなり、紙媒体の発行部数が激減し、部数トップの座から滑り落ちかねない状況に陥った。そこで同社社長の松野弥介は、日頃から何かと世話をしている業界第3位の日亜新聞社社長・村尾倫郎に合併を持ちかけ、基本合意した。二人は両社の取締役編集局長、北川常夫(大都)、小山成雄(日亜)に詳細を詰めさせ、発表する段取りを決めた。1年後には断トツの部数トップの巨大新聞社が誕生するのは間違いないところになったわけだが、唯一の気がかり材料は“業界のドン”、太郎丸嘉一が君臨する業界第2位の国民新聞社の反撃だった。合併を目論む大都、日亜両社はジャーナリズムとは無縁な、堕落しきった連中が経営も編集も牛耳っており、御多分に洩れず、松野、村尾、北川、小山の4人ともスキャンダルを抱え、脛に傷持つ身だった。その秘密に一抹の不安があった。
※本文はフィクションです。実在する人物名、社名とは一切関係ありません。
※次回は、来週11月22日(金)掲載予定です。