6月18日付け朝日新聞の報道によると、警察庁と厚生労働省の集計で、2022年に奨学金の返済苦が動機の一つとなった自殺者が10人いたという。奨学金制度に欠陥が潜んでいるのか、制度の利用方法に問題があるのか――。日本高等教育学会会長、中央教育審議会臨時委員、衆議院調査局客員研究員などを務めた桜美林大学の小林雅之教授(教育社会学)にインタビューした。
――日本学生支援機構(JASSO)の奨学金の令和3年度の受給率は33.0%(給付+貸与)、貸与奨学金に限れば27.8%で、受給者は年々増加傾向にありますが、背景は何でしょうか。親の経済力、入学金及び授業料の値上げ、貸付審査の緩和など複合的な要因があると推察します。
小林雅之氏(以下、小林) 1998年に財政投融資がかなり余って、使い道として有利子奨学金の貸与基準を相当緩め、貸与額も増やせるようになったことで、第二種奨学金(有利子)を中心に利用が急増しました。それまでの奨学金利用率は第一種(無利子)と第二種を合わせて10%ぐらいでしたが、その後、受給割合が拡大したのです。緩和措置は「きぼう21プラン奨学金」としてアピールされました。成績基準と親の年収基準をかなり緩めたので、今まで借りられなかった層が借りられるようになったのです。
――親の経済力や授業料値上げの影響はいかがですか。
小林 確かに要因になっていることは間違いありません。授業料については、国立大学は2004年の独法化以降ほとんど上がっていませんが、私立大学の一部ではじわじわと上がっています。さらに、この間、親の可処分所得がかなり減って相対的に負担が増えたので、奨学金に頼る傾向が強くなったといえると思います。
――親や本人に、奨学金を借りることに慎重でなくなったという傾向は見られないのでしょうか。
小林 2008年ぐらいまでは慎重ではありませんでした。同年にリーマンショックが起きて格差が拡大しましたが、この時期から回収が強化され、それまではほとんどなかった訴訟も増え始めました。この方針変更によって「奨学金を借りると大変だ」と見方が広がり、転換点となりました。とくに第二種がかなり減っていきます。
この間、奨学金に対する意識もかなり変わりました。日本育英会の時代は「育英」という要素が強く、ある程度成績が良くないと借りられませんでしたが、基準が緩くなって特に第二種は年収要件を満たせば誰でも借りられるという状況に近くなったのです。
「奨学金を申し込んだ後に返さなければならないことを知った」
――学生は奨学金の利用を検討する時に、奨学金は金銭消費貸借契約に基づく借金であることを学ぶとか、返済計画の考え方を説明されるなど、お金を借りる重みを理解する機会はあるのでしょうか。
小林 これが一番大きな問題で、重要なポイントです。奨学金の利用では何百万円も借金する契約を結ぶわけですが、高校3年生が明確に自覚しているかが問題です。JASSOの調査によると、毎年同じ傾向が出ていますが、延滞者の約半数が「奨学金を申し込んだ後に返さなければならないことを知った」と回答しています。返すものだということを十分理解しないで借りた人も以前はいたのです。何百万円もの借金をするのですから、重要事項説明を理解しておく必要がありますが、一部の奨学生は理解しないままサインしています。
――債権者であるJASSOの説明が不足しているという問題はないのですか。
小林 JASSOも近年いろいろ周知を強化したので随分改善されましたが、なかなか人的・物的な余裕はありません。JASSOは独立行政法人なので、運営費交付金が毎年削減され、人員をさほど増やせないために重要な仕事をパートタイマーが担当している状況です。17年に給付型奨学金第1種奨学金の所得連動型返還制度が創設されて制度が複雑になったので、「スカラシップ・アドバイザー」を高校に派遣する制度を設けて、生徒・保護者や先生に進学のための資金計画や奨学金制度などを直接説明する仕組みをつくりました。高校の要請を受けて派遣するのですが、コロナ禍もありなかなか普及していません。
――スカラシップ・アドバイザーにはどんな人が起用されていますか。
小林 金融教育に詳しいという観点からファイナンシャルプランナーにお願いすることが多いのですが、ファイナンシャルプランナーの仕事は資産運用のアドバイスがメインなので、奨学金制度に精通しているとは限りません。22年4 月に高校の家庭科で金融教育が始まりましたが、私たちが調べたところ、ローンは少し取り上げられていますが、奨学金はほとんど取り上げられていません。したがって高校生が奨学金の仕組みを知る機会が少ないのです。
――家庭科の先生が奨学金制度をどれだけ把握しているかが問題ですね。
小林 私たちは17年の制度改正にともなって、全国半数の高校の奨学金担当者を対象に調査したところ、7割ぐらいの先生が「複雑すぎてわからない」という回答でした。進路指導や担任の先生になると、もっと理解が低いでしょう。ただ、高校の先生も仕事の負担が大きいので、これ以上の負担を求めることが難しいのです。
返済困難者に対する救済措置
――しかも返済するのは社会人になってからなので、JASSOは申請を受けた時点で返済能力を審査しようがありません。
小林 そこが非常に難しいところです。担保を設定するわけではありませんし、所得の低い人に貸すので貸し倒れのリスクもあります。どの国でも100%の回収が難しいことはわかっています。とくに日本の場合、有利子奨学金の主な財源は財政投融資であり、利子を付けて100%返さなればならないので、財務省はJASSOに強いプレッシャーをかけてきます。しかし申し上げたように、JASSOの組織力には限界があります。私は何度かJASSOの見直し会議に出席しましたが、金融機関の方が『JASSOが金融機関だったら破綻している』と指摘していました。
――返済困難者に対する返還期限の猶予、返還免除など救済措置は有効に運用されていますか。
小林 かつては返済猶予ぐらいしか設けられていませんでしたが、今では2分の1か3分の1の減額返還によるリスケジューリングなど、いろいろな措置が設けられています。ただ、多くの利用者が救済措置を知らないのです。在学中や延滞時にはJASSOから再三救済措置を案内していますが、返せない方は切迫しているので、なかなか救済措置にまで目が向かないという事情もあり、非常にまずい状況です。減額返還については返済期間が延びた分、金利が加算されるわけではありません。JASSOは「奨学金は学生ローンではない」という見解を持っており、確かに、たんなる学生ローンではありませんが、奨学金という概念が問題をややこしくしている面もあります。
――奨学金という言葉を改めたほうがよいのではないでしょうか。
小林 給付型ができたので、私は学資ローンという言い方でよいと思います。他の国でも学生ローンや学資ローンという言い方をしています。
所得連動方式・源泉徴収がキモ
――奨学金返還支援を実施する地方自治体について、内閣府は、特別交付税措置の拡充を行なったのに実施自治体が一定数に留まっていると指摘しています。何が背景でしょうか。
小林 かなり前から内閣府で問題になっていました。ひとつはこの制度自体があまり知られていないこと。もうひとつは自治体の費用負担が必要なので、なかなか乗ってもらえないのです。
――6月13日に閣議決定した「こども未来戦略方針」に、貸与型奨学金の減額返還制度の利用可能な年収上限引き上げや、所得連動方式の返還額算定における所得控除の上乗せ、あるいは授業料後払い制度の導入検討などが盛り込まれました。どのようなご意見をお持ちでしょうか。
小林 財源が書かれていないので、財源をどう確保するかが問題です。未来戦略方針に書かれた施策のうち、後払い制度は自民党が以前から提言していましたが、財務省の反対で実現していません。後から返済されるのですが、最初に投入する財源がないという理由と、お話ししたように100%返済される保証がないからです。ただ、後払い制度は自民党の総裁選で岸田さんが所信表明演説で述べていますし、骨太の方針にも書かれているので、財務省は反対しにくい状況です。
――返済が困難になった場合、相談先はJASSOが望ましいのか、それとも弁護士や司法書士などが望ましいのか。JASSOは債権者側で、士業は債務者側という立ち位置の違いがありますが、いかがでしょうか。
小林 状況によって違うと思います。金利が加算されて借入額が数百万円に膨らんだ状態で一括返済を迫られた場合は、弁護士でないと対応が難しいです。一方、返済が一時的に難しくなった場合はJASSOの救済制度も以前より整備されているので、JASSOに相談するのがよいでしょう。
――奨学金制度の制度設計や運用について、国に提言したい政策は何でしょうか。
小林 私は授業料後払いはすぐれた制度だと思っています。大学4年間で払う費用を10年や20年に分割して払う制度なので、負担が低減されます。しかも所得連動方式をとれば、所得に応じて返済するので返済しやすくなります。イギリスやオーストラリアはこの方式を取っていて、しかも源泉徴収です。回収コストが下がるので、源泉徴収がキモだと思っています。所得の低い人は考慮されますが、高い人は住宅ローンがあっても考慮されません。この方法なら「返済することを知らなかった」という問題もなくなりますが。ただ、それでも回収不能は発生します。奨学金とはそういうものだと国民に納得してもらうことがポイントです。
――貴重なお話をありがとうございました。