イスラエル社会にとっては衝撃だった。告白は国を貶める、として彼を非難する者は少なくなかった。だが、そんな彼のもとに、同様の体験を寄せる者が続々現れた。
中国から復員した元日本兵も、体験を胸にしまって市民社会に戻った後に、過去の記憶に苦しんだ人が少なくないのではないか。過去に、日本兵が中国で残虐行為をしたと認めることは、私たちの先祖を貶めるのとは違う。そうではなく、戦場という特殊な場所で、日常生活ではありえない体験をし、それを胸にしまったまま懸命に戦後を生き続けた先祖たちの苦しみを、少しでも理解しようと努めるための出発点だと思う。そして、失われた命に対する想像力を働かせるための出発地点でもある。
史実として、被害の程度を確定させるための努力はこれからも必要だ。しかし、専門家によってそれが確定するまでの間、人数論争にふけり、私たちの先祖が味わった苦しみや、奪われた命の無念さに思いを致さない、という選択肢は愚かしい。
戦後70年となる今年は、日韓国交正常化50年の年でもあり、マスメディアなどを通じて、過去の戦争について考える情報が多く提供されるだろう。私自身も、今年こそ歴史と向き合う年にしたいと思っている。
というのは、これまでの節目の年、たとえば戦後50年だった1995年は、1月に発生した阪神・淡路大震災をのぞけば、オウム真理教を巡る問題で手一杯だった。戦後60年の2005年は、郵政民営化を巡る国会での攻防があり、小泉純一郎首相(当時)は終戦の日を間近に控えた8月8日に衆議院を解散(いわゆる「郵政解散」)。そのまま選挙モードに突入し、国中に小泉旋風が吹き荒れ、私も、目の前の激しい動きに目を奪われてしまった。いずれも、じっくり腰を据えて歴史を振り返るモードにならなかったのだ。
だからこそ今年は、という思いが強い。私にとって、当面の課題は2つ。
1)日中戦争も含め、いわゆる「大東亜戦争」と呼ばれた戦いの経緯、起きたことについての知識を深める。特に、戦いが本格化するまでにメディアと国民が果たした役割を考え、アジアで与えた被害を認識する。
2)その被害に対し、戦後の日本が(日本人が)どのように向き合い、あるいは向き合わなかったかについて知り、日本の戦後責任を考えると共に、そのために尽くされた先輩たちの努力を思う。
過去を学びながら、未来を思い、そして今何をするべきか。それを考える年にしたい。ただ、今年いっぱいで結論を出さなければならない、期限付きの課題ではない。欲張らず、焦らず、ぼちぼちといきたい。
(文=江川紹子/ジャーナリスト)