先生と生徒の間で、日常的に他愛もないおしゃべりができる関係があれば、子ども達の間で話題になっているけれど、わざわざ職員室まで出向いて報告する気にはなれない、という事柄が、ふと話に出ることがあるだろう。そして、そういう「ふと出る話」が、子ども達の現状を把握するうえで、大事なのではないだろうか。
いじめで子どもが自殺するなどのケースが問題となり、行政の様々な機関が、相談窓口を作った。無料電話相談の番号も、いくつも子どもたちに伝えられている。それが生きる場合もあるだろうが、子どもたちから「わざわざ」連絡をしなければ機能しない窓口ばかりが増えて、「ふと出る話」がもたらされる日常のコミュニケーションが軽んじられているような気がする。
さらに、教師の多忙と親たちのプライバシー意識の高まりもあって、年度初めの家庭訪問をやめる学校が増えている。先生が、子どもたちの家庭環境を知り、親との信頼関係を作るよい機会だったと思うのだが……。
そのうえ、先生と生徒のコミュニケーションだけでなく、先生同士が雑談をする機会も激減している。かつては、冬場にはストーブの周りで先生同士が語らい、その中で先輩の経験談が若手に伝えられたり、わざわざ正式に報告をするほどでもない、気がかりな事柄を若手が先輩に相談したりできた。そうした雑談が、現在の職員室ではほとんどない、という。
学校全体に、遊び(=ゆとり)がなくなっている。こういう状態では、不測の事態が起きた時に(あるいは、そういう事態を防ぐために)、学校側が適切に対処するのは難しいのではないか。
生徒と先生が日常的に他愛もないおしゃべりに興じる。生徒同士が教室でダラダラおしゃべりしているのも大目にみる。先生同士も、雑談を楽しめる。そんなムダな時間、空間の遊びを学校に取り戻すことが必要だと思う。
さらに、今回の事件全体を多角的に見直し、いつの時点で、どのようにすれば、このような最悪の事態を回避できたのか、検証する必要もある。そのためにも、警察は関係する少年たちに対する取り調べや事情聴取は慎重に行ってほしい。特に、直接事件に関与した者たちは、家庭裁判所から検察庁に逆送致され、大人と同じ刑事裁判を受ける可能性が高い。殺人事件なので、裁判員裁判となる。その時になって重大な事実に争いが起きたりしないよう、また必要に応じて、供述態度についても判断の材料に使えるよう、取り調べは警察段階からすべて録音録画をすべきだ。
(文=江川紹子/ジャーナリスト)