ネパール政府は必死に対応しただろう。医療では、さまざまな施策を用いてカトマンズに医師を集めたはずだ。供給先は被災しなかった地方都市だ。ネパールの医師は少ない。人口1,000人あたり0.17人で、わが国(2.34人)の約14分の1だ。多くの医師はカトマンズに集まっているから、わずかの医師が地方から移動するだけで、「無医村」になってしまう。この結果、患者は車で10~20時間もかかる首都の病院に押し寄せざるを得なくなった。
こんなことが起こるとは、私は想像だにできなかった。樋口さんは何度もネパールを訪問し、現場の一次情報を持っているからこそ、このような分析ができたのだろう。彼女は、「この問題についてさらに研究を進めたい」という。
彼女たちの論文は示唆に富む。災害からの復興対策が、「予期せぬ副作用」をもたらすのはネパールに限った話ではないかもしれない。
私たちのチームは東日本大震災以降、福島県浜通りの医療支援を続けている。落ち着いて考えれば、福島でもネパールと同様の事態が起こっている。災害復興を考える上で教訓となるため、本稿でご紹介したい。
「見捨てられた」住民たち
7月26日、自民・公明両党は2021年度末で設置期限を迎える復興庁を、現行の首相直属の機関として当面継続するように提言をまとめた。一時期、内閣府の外局への配置案などが議論されたが、これで格下げが回避された。福島では大きく報じられ、地元は歓迎している。このようなニュースを聞くと、政府が全力を尽くして福島を支援しているように見える。福島県も、政府と協力して復興に努めるという主張を繰り返している。
ところが、我々が現場で見る光景は違う。政府や福島県の主張を真に受ける住民はほとんどいない。我々が専門とする医療では「原発事故をネタに福島県立医科大学(福島医大)が焼け太っただけ」と批判する者もいる。どういうことだろうか。
これは被災地の医師数の推移を見れば一目瞭然だ。厚労省の医師・歯科医師・薬剤師調査によれば、震災前の2010年12月末の福島県内の医療施設に従事する医師は3,705人だった。人口10万人あたり183人で、全国平均の219人(2010年末現在)を大きく下回る。
震災後はどうなっただろう。復興事業が重点的に行われたのは震災後の数年間だ。2014年12月末の県内の医師数は3,653人、人口10万人あたり189人だった。震災前から医師数は52人減少し、人口当たりの医師数は横ばいだった。