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『ムカつくことには合理性がある~若き老害・常見陽平が吠える』(11月18日)

夢を叶えた風の人は、本当に夢を叶えたのか?夢は捨てたらダメなのか、追う奴は迷惑か

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常見陽平氏
 今回は「」について語ることにしよう。

「常見さんのように夢を叶えている人は、どのように生きてきたのか?」という趣旨のご質問を頂くことがある。サラリーマン生活を経て著者デビューをし、来年から千葉商科大学国際教養学部の専任講師に就任することから、私は夢を叶えている人なのだと思ったらしい。たしかに、昔なりたかった職業に就いて、それなりに食べることができてはいる。なるほど、そう思っていただくのはうれしいが、やや戸惑ったりもする。というのも、私自身、夢を叶えたようで次の夢に向かっているし、夢をあきらめなかったかというとウソで、あっさり捨てたこともある。ただ、心のどこかで夢を手放さなかった。そして日々、愚直に不器用に生きてきただけだ。

 盟友のウェブ編集者・中川淳一郎のように『夢、死ね!』(星海社新書)なんて言うつもりはない。とはいえ、夢なるものばかりを語って現実を見ない人、ちゃんと稼がない人、夢を叶えている風でも周りに迷惑をかけまくっている人は痛いというか、迷惑ですらあると思う。ただ、夢を手放すのも少し違うと思うのだ。

『リクルートという幻想』(常見陽平/中公新書ラクレ)
 私の話をしよう。幼い頃から物書きか、大学教授になりたかった。幼稚園の七夕の短冊に「さっかになりたい」と書いた。ジャーナリストか作家か大学の先生になるべく、大学、学部選びをし、読書もそれに役立ちそうなものを読んでいたように思う。常に在野的な視点でものを見ることに、10代の頃はこだわっていた。何か文章を書く機会があれば、その機会を利用して書きまくった。小学校や中学校の学級新聞でも書きまくった。小論文も得意だった。進研ゼミの小論文講座で全国6位になったこともあった。希望通りの大学、学部に合格し、上京。私はそういう世界に進むものだと思っていた。

 ここまでの話を読むと、いかにも夢を追って、叶えている人のように見えることだろう。違う。私はその後、いとも簡単に夢を捨ててしまったのだ。ジャーナリストか大学教授になるために、社会学部に入学したのに、一般教養課程のある講座で、明らかに魅力的な先生と出会った。その先生は商学部の教授で、彼のもとで学ぶために私は転学部を決意する。社会学を勉強するためにその大学、学部に進学したのに、人生とは面白いものだ。あっさり今までの努力を捨ててしまった。その教授とは、ハーバード大学で教えた経験があり、日本人で初めてビジネスウィーク誌のビジネススクールの教員ランキングでベストテン入りし、一橋大学で国際企業戦略研究科を立ち上げ、現在はハーバードビジネススクールで教授をしている竹内弘高先生、その人である。