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複雑化する同族企業の「後継者問題」(2)

スーパー「ライフ」を救った清水会長の「身内切り」 断腸の思いで弟を解任し非同族経営へ

文=長田貴仁/岡山商科大学教授、神戸大学経済経営研究所リサーチフェロー
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 清水がこのことを知ったのは85年、住友銀行(現三井住友銀行)創業90周年パーティーの席上だった。そこで、ライフ担当の同銀行常務から、「第1回の融資は終わりましたが、第2回目のご要請のあった件は今やっております」と報告を受けた。三夫に権限委譲するため、役員会にも顔を出さなくなっていた清水にとっては、まさに寝耳に水である。その常務に聞くと「同業の他社株をお買いになるということで40億円を融資した」と言い、清水の耳にも入っていたと思っていたようである。清水はこの融資を白紙撤回し、三夫に浮利を追うような株式投資はやめて店舗の立て直しに資金を回すよう促した。しかし、三夫は聞く耳を持たなかった。

「兄さんは時代遅れなんや。今は、コンニャクや豆腐や大根を売って、1円、2円の利益を争っている時代やない。頭で金儲けをする時代なんや」

 三夫の反論が正しく聞こえるかのように、86年、87年と「バブルの歯車」は好転していく。清水の制止もむなしく、三夫はますます勢いづいた。しかし、結果は歴史が物語っている通りである。「こんなバカ騒ぎが長く続くわけがない」とバブルの崩壊を予見していた清水は、社長の更迭を決断した。88年3月15日、6年ぶりに会長として出席した役員会の冒頭で清水は、社長を解任し自ら会長兼務の社長に返り咲く特別決議を動議したのだった。会議はもめたが、6対5という僅差で可決された。その直後に清水は、事前に作成しておいた取締役会議事録で社長交代の登記を済ませた。翌日、大阪の50ほどあった全店舗と配給センター、食品加工場を見て回った。ひどく荒れた実態を目の当たりにして「これは自分でやらなければ」という思いがこみ上げてきた。

 この苦渋の決断を振り返り、清水は正直な感想を吐露した。

「弟には、かわいそうなことをしたと思いました。社長にしなければ、あんなことにはならなかったのにと思っているぐらいです。ただ、本人の素質もあるからね。100%私が悪いともいえない」

 社長に復帰した清水は怒涛の出店を始めた。8年間で132店舗を出店し、一躍下位から食品スーパー首位に躍り出た。財テクに走る前社長の姿を見ながら会社の行く末を心配していた役員たちの思いが、本業回帰に向けて猛烈に働く清水を後押しした。だが、「己を知り、足るを知り、終わるを知る」を心得ていた清水は、実弟の更迭、社長復帰を経て、「身内だから社長に」という世襲人事の思い込みによる怖さを身をもって知り、後継者選びについて、より深く考えるようになっていた。

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