「陰謀論」という言葉は現在でこそよく目にするが、その歴史は意外に新しい。しかもこの言葉は使われるようになった当初から、馬鹿げたものというレッテル貼りに利用されてきた。
自然にそうなったのではない。政府がひそかにそのように仕向けたのである。陰謀論とは、その言葉からして政府の陰謀の産物だったのだ。そのきっかけは前回の本連載で取り上げた、ケネディ米大統領暗殺事件である。
米歴史学者ランス・デヘイヴンスミスが2013年に上梓した著書『アメリカの陰謀論(Conspiracy Theory in America)』(未邦訳)によれば、陰謀論(conspiracy theory)という言葉が米国の日常会話で使われるようになったのは、1960年代半ば以降のことである。50年余り前にすぎない。それ以前は日常会話の表現としては存在しなかった。
それでは、陰謀論という言葉はなぜ広まったのか。デヘイヴンスミスは衝撃的な事実をこう記す。「米国人の多くは、陰謀論というレッテルが1967年に始められた中央情報局(CIA)のプロパガンダ計画によって侮蔑的な言葉として広められたと知ったら、ショックを受けるだろう」(日本語訳は『世界金融 本当の正体』<野口英明/サイゾー>より)。
そもそものきっかけは1964年9月、前年11月に起こったジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件を検証するため設置された大統領特命調査委員会(ウォーレン委員会)が公表した最終調査報告にある。本文だけで888ページに及ぶ膨大な報告書の説明には不自然とみられる点が多く、翌1965年以降、疑問を呈する新聞記事や書籍が相次いだ。
こうした疑問の指摘をきっかけに、米国民の間に公式見解への疑いが広がり始める。デヘイヴンスミスは書く。「しだいに多くの人々が、暗殺に責任のあるのはおそらくリンドン・ジョンソン大統領だというようになった。ジョンソンこそ利益を得た人物である。大統領になったのだから」。ジョンソンはケネディの死によって副大統領から大統領に昇格している。
1966年には世論調査により、国民の過半数がウォーレン委員会の調査結果を不十分なものとして否定していることがわかった。 まさにこの時期、CIAはプロパガンダ作戦に着手したのである。
「PSYCH」
プロパガンダ作戦は1967年1月、「1035-960」という数字の記されたCIAの文書によって始まった。その狙いを簡単にいえば、各地のジャーナリストやオピニオンリーダーの力を借り、ケネディ暗殺の犯人は政府上層部だと本や新聞で主張する陰謀論者に対抗することである。
情報公開法にもとづくニューヨーク・タイムズ紙の要求で1976年に開示された、このCIA文書にはまず「PSYCH」(心理作戦 psychological operations の略)と書かれ、表題らしきものとして「ウォーレン報告批判への懸念」と記されている。「不要となった際は廃棄のこと」との注意書きもある。