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榊淳司「不動産を疑え!」

江東区・有明は、日本の都市計画失敗の象徴的エリアだ…なぜ「げんなり」するのか

文=榊淳司/榊マンション市場研究所主宰、住宅ジャーナリスト

街というものは生き物

 10年ほど前まで、都市計画でつくられたなかでは比較的人気が高かった街に千葉県の海浜幕張というところがある。マンションが林立するのは、「幕張ベイタウン」という街区。

 ここは日本人が都市計画でつくった数ある人工都市のなかでは、比較的成功したほうだと私は考えていた。しかし、最近は急速に人気を失いつつある。タウン内のマンションの市場価値も大幅に下落している。

 理由はいくつか考えられる。東日本大震災で液状化したのは、そのキッカケ。そもそも、都心から遠い。さらに、マンションの立地が駅から遠い。タウン内の世代交代が進まず、そろそろ高齢化が目立ってきている。だから、若い世代が憧れなくなってきた。

 私は、街というものは生き物だと考えている。そこに住む人間は細胞である。そこで子どもを産み、育てれば細胞分裂。また、その魅力にひかれて多くの違う細胞(=人間)が集まってくる。そうやって街という生き物が成長・発展していく。その街をつくり、変化させているのはそこに集まった人間たち。街づくりの主役は、彼らだ。

 ところが、都市計画によって生まれた街というのは、人工的に器を用意して、他のエリアから溢れた人間を強引に集めたようなもの。そこに集まった人間たちは、そもそも街づくりに参加できない。できるのは、そこで息をする(=生きる)ことだけ。それでは街は原設計者が描いた通りのままで、いつまでも変化が起きない。魅力も生まれない。昭和以降の都市計画は、こういう構図ですべて失敗したといっていい。

 現在、日本は都市計画を行う必要性がなくなった。人口が減り始めた今、新しい街をつくる必要はない。千葉ニュータウンや港北ニュータウンは惰性で今でも開発が続いているが、経済的なマクロ視点ではなんら必要はない。江東区の有明も、五輪が終われば元の荒涼たる埋立地に戻って、将来性を見いだせない。いずれ、不動産価値の下落も顕在化するだろう。

 これからの都市政策は、必要性のない都市計画を惰性で続けるよりも、どのようにして現実にある街を有効活用するかに、その重心を移すべきである。
(文=榊淳司/榊マンション市場研究所主宰、住宅ジャーナリスト)

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