有明の都市計画が失敗している理由
「都市計画」というワードがよく使われた。何もない広大な土地に、ゼロから街をつくっていくのである。しかし、昭和時代から始まった都市計画は、概ね失敗したといえる。いろいろなメディアが「住みたい街ランキング」といった調査結果を発表する。そのなかに、昭和以降の都市計画で生まれた街がどれほど入っているのか?
何年か前、東京都江東区の豊洲が上位に入ったことがあった。しかし、あの市場移転問題と「毒洲」騒ぎで、今後のランキング入りはほぼ絶望的。大阪の千里ニュータウンは昭和の一時期、ものすごい人気があったが今はさほどでもない。東京の多摩ニュータウンなど、最近では少子高齢化や人口流出関連のマイナス情報を流すニュースしか見かけなくなった。
東京都江東区の埋立地には、東京オリンピックの競技会場となる有明というエリアがある。ここにはビックサイトと呼ばれる国際展示場があって、1年を通じてさまざまなイベントが開催される。そのイベントのために有明を訪れた人も多いことだろう。
もちろん、私は何回も行った。マンションの現地調査でもよく行く。イベントへはゆりかもめやりんかい線を使う。行くたびに、うんざりさせられる。なぜなら、やたらと歩かされるからだ。それも、人工的で無味乾燥な風景のなかを。マンションの現地調査は車を使うが、あの荒涼とした風景にもげんなりする。無機質な街並みを何分も見続けなければならない。
私は江東区の有明こそが、日本の都市計画が失敗している象徴的なエリアだと思っている。あの地を訪れる人の過半数が、否定的な感触を持っているのではないか。
有明の都市計画が失敗している最大の理由は、自動車の便を優先していることだ。そして、土地をゆったりと使いすぎている。所用のあるポイントからポイントへ移動するのに、やたらと歩かなければならない。しかも、その移動には風景を愛でるという楽しみが皆無。あれでは、あの街を好きになる人は増えない。
日本人は季節の細やかな変化を眺めて喜ぶという、心の繊細さを大切にしている。路地裏の風景や、人の息遣いを感じる街が好きなのだ。大雑把なことは「がさつ」だと敬遠する。都市計画でつくられた街は、いってしまえばすべて大雑把。日本人の細やかな心に響くところが少ない。だから、都市計画でつくられたどの街も、住みたい街にはランキングされない。