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曽和利光「人と、組織の可能性を信じる世界のために」

日本企業、“社員の主体性重視”という欺瞞…社員への「協調性」強制と責任転嫁に利用

文=曽和利光/株式会社人材研究所代表
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「gettyimages」より

経団連調査で10年連続2位

 経団連が毎年行っている調査の一つに「新卒採用に関するアンケート調査」というものがあり、そのなかの項目に「選考時に重視する要素」というものがあります。昨年まで16年連続で1位だったのは「コミュニケーション能力」であるというのは、よく報道もされているのでご存じかもしれません。

 では10年連続で2位となっている要素は何か。それが本稿のテーマである「主体性」です。2008年に微差で「協調性」に迫り3位となった翌年以降、漸減する「協調性」や「チャレンジ精神」を抑えて、10年連続で2位をキープしています。

チームプレイよりも個人プレイ重視に?

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『コミュ障のための面接戦略』(曽和利光/星海社新書)

「協調性」と入れ替わって「主体性」が重視されてきたというのは面白い結果です。日本企業の組織力の源はチームプレイと言われてきました。個々人の力は強くなくても、チームで力を合わせることで相乗効果を生み、全体としては強い組織となる、と。そのベースとなる要素が「協調性」です。

 最新調査では「協調性」は3位「チャレンジ精神」と微差の4位で、今も重視されていますが、それを超えて「主体性」という個を重視するような要素が現れてきたのは「そろそろ日本企業もチームプレイから個人プレイの時代だ」と考え方が変わってきたようにもみえます。

そもそも「主体性」とは何か

 では、本当にそうか検証していきましょう。「大辞林」で「主体性」を検索すると「自分の意志・判断によって、自ら責任をもって行動する態度や性質」となっています。人からの命令や指示ではなく、自らの考えや責任で動くということです。

 ちなみに、「協調性」は「他の人と物事をうまくやってゆける傾向や性質」となっています。定義からすれば、「自分から」他の人とうまくやっていこうと考えて協調的に動くなら、それも「主体性」とみなされるわけで、「主体性」と「協調性」は相反しません。つまり、「勝手に自分から協調行動を取ってくれ」という意味で使っているということも考えられます。

「協調性」より「主体性」?

 ただ、もしそういう意味で使っているなら、より重要な要素は「協調性」であるはずですが、アンケート結果はそうなっていません。ですから、素直にアンケートの結果を解釈すれば、やはり日本企業は周囲の人に協調して自分の行いや考えを変えて行動していくことよりも、周囲の人とは関係なく自分がどう思うかで行動してもらうことを望んではいるようにみえます。少なくとも「そう思っている」のは確かかもしれません。やはり、「協調性」よりも「主体性」を持っている人を重視しようとしているのでしょうか。しかし、私にはどうもそうではないように思えるのです。

教育場面では相変わらず「協調性」

 ちょっと話がそれますが、子どもの教育場面における話を少しさせてください。文部科学省の「平成33年度大学入学者選抜実施要項の見直しに係る予告」では、一般入試の課題の改善について「『主体性を持って多様な人々と協働して学ぶ態度』をより積極的に評価する」とあります。この「主体性」とは「主体的に協調すること」ですから、つまり「すごい協調性」に思えます。

 実際、卑近な例で恐縮ですが、愚息が受けたお受験の模試で、他の子どもと一緒に遊ぶのを観察される試験の評価項目「主体性」は、「目の前の与えられた課題に対して前向きに積極的に取り組んでいるか」でした。私からすれば、それは純粋な主体性ではなく、結局は協調性ではないかと思うのです。

さまざまな現場における「主体性」の使われ方

 そして、これを企業は笑えません。ある企業では朝会で頻繁に「主体性を持って、自ら動け!」と言っています。「動け!」と命令されて「はい!」と素直に適応している時点で主体的ではないのではないかと思います。要は「俺の言うことを聞け」と言われているわけです。

 ある企業では評価会議の際に、「彼は主体性が足りないんだよね。自分から高い目標を積極的に取ろうとする気概が感じられない」と言っています。ここでの「高い目標」はあくまでも会社の方針にのっとっての目標を指しています。それを慮って、空気を読んで、「自分から」高い目標を立てろ、と言っているわけです。これもやはり「協調性」です。

マネジメント側の責任転嫁ではないのか

 まるで戦時中の「志願」のようです。「お前ら、この攻撃に志願するものはいないのか!」と言われて、「主体的に(でも本当は同調圧力に耐えかねて)志願」する兵士、この状況と同じです。これでは日本は何も変わってはいません。「自ら考えて」と言いながら、「組織の望むことを(表面上は自ら)やってほしい」と思っている。それは結局、マネジメント側の責任転嫁です。

 それが「主体性」という社会的に心地良い言葉で語られることで巧妙に隠蔽されている。それならいっそストレートに「俺が責任を取るから、騙されたと思って言うことを聞いてくれ」と言えばよいのです。行動を縛るのに責任も取らせるなら、ひどい話です。

杞憂ならよいのですが……

 繰り返しますが、アンケート結果からはあくまで「主体性」が「協調性」よりもさらに重要だと読めるので、それを本稿のように穿った見方をしなくてもよいかもしれません。しかし、人事の現場において観察されている使われ方をみると、本稿のような危うさを感じてしまうのです。

 また、チームプレイか個人プレイかとか、「主体性」か「協調性」かとかは、事業や業界によっても異なるでしょうから、どちらが良いわけでもありません。しかし、本来は「主体性」が重要なのに、「偽の主体性」つまり「主体性の皮をかぶった協調性」を結局は重視してしまっているというような行き違いがあれば、それは大変な問題ではないでしょうか。必要なものとある意味で逆のものに向かっているのですから。
(文=曽和利光/株式会社人材研究所代表)

曽和利光/人材研究所代表

曽和利光/人材研究所代表

京都大学教育学部教育心理学科卒。新卒でリクルートに入社、2009年まで人事や人事コンサルティングを行う。人事GMとして、最終面接や人事担当者トレーニングなども担当。その後、ライフネット生命などのベンチャー企業の人事責任者を経て、現職。現在は、日系大手から外資、ベンチャー、中小企業様に至るまで、様々な会社の、人事や採用に関するコンサルティング、トレーニング、アウトソーシングの事業を推進中。
日本採用力検定協会理事/日本ビジネス心理学会理事/情報経営イノベーション専門職大学客員教授
株式会社人材研究所

Twitter:@toshimitsu_sowa

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