停電の規模だけで言えば、東日本大震災以降最大の自然災害になった。9日に首都圏を直撃した台風15号による被害は死者2人、重軽傷者109人。停電は神奈川、千葉両県を中心に最大93万戸にのぼり、13日午後3時現在でも千葉県内18万7400戸で電気が使えない状態が続く。
ここにきて千葉県の南房総地方の深刻な被害状況が明らかになりつつある。同地方では長引く停電と断水で、クーラーも使えず、水分補給も満足にできないまま熱中症で命を落とす高齢者が出始めている。つまり、最も助けが必要な被災地域がクローズアップされていなかったのだ。規模と災害の種類は違うが、東日本大震災でも似たようなことが起こっていたのだが、災害の教訓は生かされなかった。
千葉県は12日、南房総地方の各市町村の台風被害の状況がわかっていなかったことを明らかにした。本来、県災害対策本部や国、関係省庁との連絡調整役を図るはずの県職員が現地に派遣されていなかったのだという。県は災害時マニュアルで「応援要請が困難な市町村には迅速に県職員を派遣する」と定めていた。市町村が被災状況をインターネット上のシステムに入力して県に報告し、それを県の災害対策本部が確認して職員を派遣する仕組みが整備されているのだが、被災者対応に追われて入力ができない地域もあり、県は把握できなかったのだという。
毎日新聞などによると、県は12日午後5時半になってようやく職員の派遣を指示したという。森田健作知事はこの日の会見で「一義的には市町村からの報告を精査した上で(支援内容を)考えていかなければならないが、手の届くところが少なかった。大きな反省材料だ」と述べ、支援の遅延があったことを認めた。
東京電力による電力復旧の遅れもあり、一部の地域では12日まで電話も通信も不通で、被災状況を申告するシステムへの入力もできなかったという。こうしたことが起きないように、各種対策が東日本大震災以降、国や各都道府県で検討され、整備されてきたはずだった。
「忘れられた町」の教訓
2011年3月11日、東日本大震災に伴う津波で宮城県山元町では全人口約1万7000人のうち、637人が死亡し町内の約52%が浸水した。石巻市や気仙沼市などの被害が巨大だったことは確かだが、同町の被害も甚大だった。
ところが、発生から2日間にわたって、同町の状況は宮城県庁に伝わっていなかった。町役場が被災しアンテナやスピーカーがすべて倒壊。さらに停電のため電気機器が使えず、庁舎内の自家発電機も被災し、通信機能をすべて喪失していたのだ。地域全体の電話会社の中継局も浸水被害を受けたり、バッテリー切れを起こしたりして、通信面で完全に孤立した。