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『国境を越えたスクラム』著者・山川徹氏インタビュー

ラグビー日本代表は、なぜ31人中15人が外国人選手なのか?スポーツと国籍問題を考える

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Rugby
2019年9月20日に東京スタジアムにて行われた対ロシア戦にて。(写真:AFP/アフロ)

 9月20日、今回で第9度目となるラグビーW杯が幕を開けた。今回の日本での開催が、同杯史上アジアでは初の開催となり、同日に東京スタジアム(東京都調布市)で行われた対ロシア戦に日本は30対10で勝利。9月28日は対アイルランド戦(於 小笠山総合運動公園エコパスタジアム/静岡県)、そして10月5日には対サモア戦(於 豊田スタジアム/愛知県)が控えており、多くのファンが決勝トーナメント進出を待ち望んでいる。

 ところでW杯前にも話題となったのが、日本代表選手31人のうち、15人が外国出身だったことだ。日本に帰化していない外国籍の選手も7人おり、そのことに疑問を持つ日本人はいまだに多い。日本国籍でなければ代表選手にはなれない野球やサッカーなどのスポーツと違い、ラグビーは国籍にとらわれない独自の選考基準があり、それはラグビーというスポーツのルーツと深く関係している。著書『国境を越えたスクラム ラグビー日本代表になった外国人選手たち』(中央公論新社)をこの8月に上梓したばかりのノンフィクションライター山川徹氏に話を聞いた。

山川 徹(やまかわ・とおる)
ノンフィクションライター。1977年、山形県生まれ。東北学院大学法学部法律学科卒業後、國學院大學二部文学部史学科に編入。著作に、『捕るか護るか? クジラの問題~いまなお続く捕鯨の現場へ~』(2010年、技術評論社)、『カルピスをつくった男 三島海雲』(2018年、小学館)などがある。

国籍よりも居住地を重視

 ラグビーをよく知らない人にとってまず不思議なのが、「日本代表なのになぜ外国人選手がいるのか?」という問いではないだろうか。

 その理由は、ラグビーというスポーツが生まれた歴史にあると山川氏は語る。

「ラグビーは、19世紀初めにイングランドで誕生したスポーツです。その後、ウェールズやスコットランド、アイルランドなどにも広がっていき、パブリックスクールや大学でも盛んに行われました。当時は大英帝国が版図を拡大していた時代ですから、ラグビーを経験したエリートたちは世界各国に散らばり、生活するようになります。それにともない、彼らは赴任先でラグビーにとり組み、彼の地で普及させていった――といわれています。そのような背景があるからこそ、選手の国籍よりも、彼らが生活している国や地域の協会を重視する『所属協会主義(地域主義)』と呼ばれる考え方が生まれ、現在まで続いているとされています」

 ラグビーW杯を主催する国際競技連盟である「ワールドラグビー」(本部はアイルランドのダブリン)が規定する現状のルールでは、以下の3つの条件のうちいずれかひとつでも満たせば、自身の国籍とは異なる国の代表選手としてもプレーできる。

1.出生地がその国
2.両親、祖父母のうち1人がその国出身
3.その国で3年以上、継続して居住。または通算10年にわたり居住

 ちなみに「3」については、今回のW杯後、「3年以上の居住」が「継続した10年以上」に変更されることが決定している。

 2000年には、「1人の選手は1カ国の代表にしかなれない」とのルールが変更がなされており、それ以前には、条件さえ満たせば、1人の選手が複数の国の代表としてプレーすることも可能だった。実際、たとえば現在日本代表のヘッドコーチを務めているジェイミー・ジョゼフは、ニュージーランドと日本の代表経験を持つ。ほかのスポーツにはないこうしたラグビーのルールは、上述したような歴史によるところが大きいわけだ。

 スポーツは、「ナショナリズム」と共に語られるケースが多い。一般の人が自分の母国を応援することは、素朴な感覚として納得できる。しかし、そのことが他国を貶めることにつながれば? あるいは、そうしたファンの素朴な感情を、国家の側が自国への“忠誠”をあおるために利用しようとしたら――?

 そのような問題意識を持つとき、ラグビーにおける上記のような「代表」規定は、極めて示唆に富むものとなるだろう。

外国人選手が日本ラグビーに与えた影響とは

 山川氏によれば、過去、日本代表になった外国人選手で最も多いのはトンガ人で、3割以上にも及ぶという。

 トンガとは、ニュージーランドの北東に位置し、南太平洋に浮かぶ王国。面積約720平方キロメートル(長崎県対馬市、北海道石狩市と同等)、人口10万8000人(埼玉県富士見市、愛媛県西条市と同等)という小規模な島国だ。

 1875年に建国されたトンガ王国は、イギリスの保護領を経て1970年に独立し、イギリス連邦加盟国となった。トンガも、イギリスからラグビーが伝えられた国なのだ。

 そして、戦後初めて日本代表となった海外出身選手が、1980年にトンガから来日したノフォムリ・タウモエフォラウ氏。山川氏の著書でも詳しく述べられているように、当時23歳のノフォムリ氏は、すでにラグビーのトンガ代表として活躍中だったが、ソロバンを学ぶため大東文化大学に留学したのだという。

 ノフォムリ氏は、1985年10月19日のフランス戦で、初めて日本代表選手に選出。さらに、1987年に開催された記念すべき第1回W杯(ホスト国はオーストラリアとニュージーランド)においても日本代表入りを果たした。

 留学後すぐノフォムリ氏の前に立ちはだかった壁が「食」と「言葉」だった。しかし、それ以上に納得できなかったことが、日本特有の体育会的文化そのものだったのだという。

「ノフォムリさんの話で非常に興味深かったのが、日本の厳しすぎる先輩後輩の上下関係をどうしても理解できなかったと語っていたことです。やがてガマンができなくなったノフォムリさんは、大東大ラグビー部の上級生たちを一喝したんです。『むしろ、年上の者が年下の面倒を見るべきだ』と。1980年代の大学の体育会系文化のなかでは誰も疑問に思っていなかった理不尽な習慣を変えたのが外国人留学生だったというところが、面白いと感じました。外国人留学生を通して海外文化の視点が入ってきたとき、『日本のこの部分はおかしい』という発想が生まれたわけです。これは大きなインパクトですよね」

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