勝谷誠彦、中田考、和田秀樹…鬼才揃いの名門灘校の「1979年卒業生」…その強みと弱点の画像1
神戸市にある灘高等学校(wikipediaより)

 幅広い人脈を持つ世界的なイスラム法学者、辛口コメンテーターとしても知られたコラムニスト、警視総監、県知事、数えきれないほど多くの医師、受験のエキスパート、映画監督、作家……名門・灘校において、1979年に卒業した面々の各界での活躍ぶりは特筆すべきものがある。もっとも最後の4つにかんしてはひとりの人物が持つ肩書きでもあるのだが……。

 その人物とは、初の自伝的小説『灘校物語』を発表したばかりの和田秀樹氏。同作では70年代後半の灘校での濃厚なスクールライフが描かれている。ここでは、本人に当時のことを振り返ってもらいつつ、灘校、さらには79年卒業生の特色について語ってもらった。

どんなものにもやり方があるはずだと思えることが、灘の強み

 和田氏は自身について、反則で東大に入ったと語る。その反則とは、灘校に通ったからこそ得られたもの。いわば同校の強みともいえるものだった。

「火鍋屋のチェーンを経営している灘の後輩が『ある課題を与えられたときに、いきなりその問題を解こうとしないで、仕組みを考える。そういう頭のよさが灘の強みだ』と言っていて、僕もそう感じています。つまり、東大に受かるために勉強ができるようになるのではなく、440点満点で240点とればいいんだという発想ができるんです」

 受験勉強における考える力は、難しい数学の問題を考える力ではないと和田氏は続ける。

「大事なのは、その問題ができなくてもどうやって受かるかを考える力です。ところが、まじめな人ほど難しい問題を解こうとしてひっかかってしまう。そうではなく、どんなものにもやり方があるはずだと思えることが、灘の強みだと思います。そう考えれば、いろんなことにチャレンジできるじゃないですか」

 もちろん、勉強法自体も、灘校には代々伝わるテクニックがあった。しかしそのテクニックに安住しないところにこそ、この学校の強さがあったという。

「受験テクニックは先輩から伝わるものもあれば、自分たちで編み出したものもありました。伝わったやり方が絶対だと考えるのではなく、新たな情報があればどんどん足していこうと試みて、テクニックが年々アップデートされていました。よさそうなことはなんでも試してみようという気風があったんです」

 また、和田氏ら79年卒業世代にとっては、教師との巡り合わせも追い風となった。当時の灘校には、中勘助の『銀の匙』を中学の3年間かけて読む国語の橋本武先生らいわゆる名物教師が数人いた。しかし、いずれも和田氏らの学年の担当ではなかったため、授業を受ける機会は限られていた。教師陣から大きな影響を受けることがない分、他の学年以上の自主性がもたらされたという。

 「橋本先生の代になっていたら、9割ぐらいの生徒が橋本先生を尊敬するわけじゃないですか。僕らは尊敬できる先生がいない分、みんな好き勝手にやっていました。それがむしろカオティックでよかったんです。テクニックをみんなで編み出していくことは喜びでしたし、いちばんの強みだったと思います」

 前述したようにこれだけの点数をとれば合格できるという割り切った思考のため、同級生たちは蹴落とすべきライバルではなく、情報を共有する大切な仲間だった。

 なお、おもしろい先生がいなかったわけではないと和田氏は補足する。たとえば、灘中入学以来、長らく低迷していた和田氏の成績が好転するきっかけとなる「数学は暗記」という考え方は、予備校教師も兼任していた数学教師からもたらされたものだった。

 ここまでは灘校、さらには79年卒業世代の強さに迫ってきたが、当時の灘校には東京から離れているが故に抱える問題もあった。東大理三に進む生徒がとても多かったことだ。それのどこが問題なのだと突っ込まれるかもしれないが、当時は「勉強ができるから医者になる」というケースが少なくなかったという。

「灘から医学部に進む人が多い理由は意外と単純で、高校の時点で、東大を出たあとにどうしようかという将来のビジョンまで描けないからなんですよ。医者なら地元にもいるけれど、政治家でも官僚でも文化人でも、みんな東京だから、ロールモデルが周囲にいない。たとえば開成とか筑駒の人たちは将来のビジョンがあって文系志向の人も多かったけれど、灘は医者なら受験勉強ができればいいからという考えの生徒も多かったです」

 当時は、灘校のOBが留年するケースも目立ったという。ロールモデルがいないから、東大合格がゴールになってしまう。なかなか贅沢な悩みのようにも思えるが、学校も無策のままではないと和田氏は続ける。

「このままじゃまずいと思ったのか、月に1回ぐらいロールモデルになる成功者を呼んで講演させているらしいんです。たとえば1学年上の村上世彰さんとか勝谷(誠彦氏)も呼ばれたようです。でも、僕ははみ出し者だから、呼ばれたことがない。灘のなかでは僕のことを成功者だとは誰も思ってないんですよ……」

 そう自嘲気味に言う和田氏は「僕らの代は特に変な奴が多い。そこは誇っていいと思います」とも語る。ちなみに、彼も灘校から東大理三という道を歩んでいる……のだが、灘校在学中に小説家、政治家、弁護士などさまざまな将来像を描いた結果、映画監督への近道になるからと志したのが医者だった。

 このメチャクチャにも思える経緯は『灘校物語』で詳しく描かれており、いったいどんな同級生がいたのかも知ることができる。何を隠そう、主人公こそが変な奴の代表格ともいえる存在なのだが、はみ出し者のロールモデルとして、和田氏が母校で講演する日は来るのだろうか。

(文=編集部)

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