小室圭さん、テレビ局に謝罪と訂正を要求…二重の特権意識の表れ、まず金銭問題を解決すべき
秋篠宮家の長女・眞子さまとの結婚が延期になっている小室圭さんが、自身に関する放送内容をめぐって複数のテレビ局に抗議し、謝罪と訂正を要求したと「週刊文春」(2月20日号/文藝春秋)で報じられた。
小室さん側が問題視したのは、昨年1月に小室さんが発表した母親の金銭トラブルに関する説明文書の中の「(母・佳代さんと元婚約者の金銭問題は)解決済みの事柄であると理解してまいりました」という部分ばかり各番組で強調されたことらしい。
「文春」記事によれば、小室さんの代理人である上芝直史弁護士は、それに抗議し、「むしろ説明文書の核心は、その後の“今も感謝しており、今後は元婚約者からご理解を得られるように努めたい”にあるのに、そこを報じないのは完全な誤報だ」と主張したという。
だが、説明文書のどの部分を取り上げるかも、どの点を強調するかも各メディアの判断にゆだねられるはずだ。私自身、著書や論文の一部を切り取られ、自分が主張したかった部分とは違うところばかり強調されて腹が立ったことが何度もある。それでも、そういうものだと思い、何も言わなかった。
自分が強調したい箇所とは違う部分がメディアで繰り返し取り上げられても、たいていの人は「都合のいい部分だけ切り取って使うのがマスコミだから、仕方がない」と自分に言い聞かせて、スルーするだろう。ちょっと勇気のある人なら、自分の真意を伝えるために会見を開いて、「自分が言いたかったのはこういうことだ」と話すかもしれないし、再度文書を出して説明するかもしれない。ところが、小室さんは、そのいずれもせず、テレビ局に抗議して訂正と謝罪を要求した。一体なぜなのか?
二重の特権意識
もちろん、抗議することによってテレビ局が批判的な報道を控えるようになるのではないかという思惑があったのだろうが、それだけではない。特権意識が強く、「普通の人なら遠慮するようなことでも自分には実行する権利があり、許されるはず」と思い込んでいることが大きく影響しているように見受けられる。
特権意識は大きく2種類に分けられる。ストレートな特権意識と裏返しの特権意識である。まず、ストレートな特権意識は、たとえば東大を出てキャリア官僚になり、その後国会議員に当選したような超エリートが抱きやすい。この手の超エリートの暴走が週刊誌でときどき報じられるが、これは「自分は特別な偉い人間だから少々のことは許される」という特権意識が強いからだろう。
もう1つは、<例外者>が抱く裏返しの特権意識である。<例外者>とは、子どもの頃に味わった体験や苦悩ゆえに「自分はもう十分に苦しんできたし、不自由な思いをしてきた」と感じており、「これはひどく不公正なことだ。自分は不利益をこうむったのだから、あらゆる損害賠償を求める権利を持っているはず」と思い込んでいる人間だ。
<例外者>は、自分がいかに不幸だったか、どれだけ苦労したかを強調して、例外的な特権を要求することを正当化しようとする。小室さんが、母親の元婚約者が用立ててくれたお金を「贈与」とみなしたのは、<例外者>特有の自己正当化によると考えられる。
典型的な<例外者>である小室さんは、もともと裏返しの特権意識が強かったが、留学先のフォーダム大学でプリンセスのフィアンセと認識され、例外的に優遇されたことによって、ストレートな特権意識も強くなったように見受けられる。その結果、二重の特権意識を抱くようになり、それがテレビ局への抗議という形で表れたのではないか。
「ノブレス・オブリージュ( noblesse oblige )」
小室さんは、「ノブレス・オブリージュ( noblesse oblige )」という言葉をご存じだろうか。これは、「高貴であるがゆえに特権を得ている者は、それに応じた義務を負うべきである」という意味のフランス語であり、ヨーロッパの王室では共通認識になっている。小室さんがロイヤルファミリーの一員として特権を享受したいのであれば、それなりの義務を果たさなければならない。
手始めに、母親の金銭問題をきちんと解決すべきだろう。「解決済みの事柄であると理解」の部分ばかりテレビ局が強調したことに抗議し、「今後は元婚約者からご理解を得られるように努めたい」という部分こそ説明文書の核心だと主張したのであれば、そのための努力を少しでもしなければならない。
にもかかわらず、一連の報道によれば、母親の元婚約者との話し合いは遅々として進んでいないようだ。小室さんは現在アメリカで勉学に励んでおり、日本にいる元婚約者との話し合いが難しいのはわかるが、弁護士を通してテレビ局に抗議したくらいだから、同じ方法で話し合うことができないわけではないだろう。自らの特権ばかり強調して、義務を果たさなければ、国民の理解も祝福も得られないのではないだろうか。
(文=片田珠美/精神科医)
参考文献
ジークムント・フロイト「精神分析の作業で確認された二、三の性格類型」(中山元訳『ドストエフスキーと父親殺し/不気味なもの 』光文社古典新訳文庫)