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1990年代のドイツで日本人シェフが受けた「からかい」

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※画像:『世紀末ベルリン滞在記』(彩流社刊)

 2018年の日本での外国人労働者は146万人(厚労省調べ)を超えている。


 近年、コンビニや飲食店などで外国人の店員が増え、それが当たり前の日常となった。これは2018年12月に改正出入国管理法が成立し、2019年4月より施行されたことが大きい。初年度は最大で4万7550人、5年間で約34万人の外国人労働者の受け入れを見込んでいる。これから外国人と接する機会がもっと増えるだろう。


 日本が歩むこの道、実はドイツは60年前にすでに経験している。1960年代から東西ドイツでは、深刻な労働者不足から外国人労働者を受け入れ、経済活動を活性化してきた歴史がある。

 

■1990年代のドイツで日本食料理人が受けた「からかい」


 『世紀末ベルリン滞在記』(加藤淳著、彩流社刊)では、1997年から11年間、ベルリンで過ごし、移民として労働し、難民として生きた経験のある著者の加藤淳氏が、ベルリンでの生活から得たものと、外国人労働者としてベルリンで過ごした人やベルリンの移民した人たちの物語とともに、今後の日本社会について考察する。


 本書の中で際立つのは、ある日本人料理人のエピソードだ。寿司職人のKは、ヨーロッパの町で自分の店をもつことを夢見て、ドイツに渡る。そして、ベルリンのポツダム広場にある高級ホテルのレストランの日本食料理人として働くことになった。


 今でこそ世界で受け入れられている日本食だが、当時はまだそれほどポピュラーではなかったようだ。


 あるドイツ人コックから「日本人は朝から魚を食うんだってよ、まったく気持ち悪いな」と、食文化の違いを馬鹿にされたり、レストランに出す厚焼き卵を焼いていると「何だおまえ、この忙しいのに、気楽に朝飯つくってるのか? スクランブルエッグは朝食だけにしておけよ」と、言われることもあったという。


 異国の地で食文化の違いを同僚にからかわれることもあったKだったが、最終的には彼らとうまく渡り合えるようになった。ベルリンで6年半暮らした後、イタリア・ミラノに渡り、さらに修行を積んだ。現在は日本料理店のオーナーシェフとして当地で活躍しているという。


 食生活ひとつを見ても、日本では当たり前の食事が、ベルリンに生活拠点を移せばマイノリティになる。ドイツ人にとって「普通とは違うもの」は、からかう対象だったわけだが、これはドイツに限らず、日本でも起こりうることだろう。現在、日本に外国人労働者として来ている人たちも、同じ経験をしているかもしれない。


 外国人労働者がこれからどんどん増えていく日本の社会で、どのように受け入れて、付き合えばいいのか。受け入れる側は、どう接し、どうすればうまく付き合っていけるのか。ベルリンを第二の故郷として、マイノリティとして過ごしたことのある加藤氏の経験から書かれた本書は参考にできることが多いはずだ。
(T・N/新刊JP編集部)


※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。

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