中国・湖北省宜昌の長江流域にある世界最大の水力発電ダム「三峡ダム」。6月から続いている大雨の影響で水位が高まり、決壊を防ぐために放流が行われていたが、8月20日現在、すでに「制限水位」を上回ったと報じられている。
豪雨の影響で被害が大きい江西省、安徽省、湖北省などを中心に、中国全土で被災者数は5400万人以上、死者・行方不明者は150人以上に上るとされているが(7月末時点)、三峡ダム上流の四川省や重慶市などでは冠水や地下街の水没も広がっていると伝えられている。
「『制限水位』を超えているということは、いつ氾濫や決壊が起きてもおかしくない状態です。長江流域には武漢市、南京市、上海市など、中国経済にとって重要な都市があり、もし洪水被害などが広がれば、国の経済が大打撃を受ける可能性があります。さらに、農業も打撃を受け、中国全土に食糧危機をもたらす事態も想定されます」(全国紙記者)
当サイトは7月29日付『中国・三峡ダム、「人類史上最も悲惨なダム決壊事故」の危険…被災者6億人、工業地帯水没』(浜田和幸/国際政治経済学者)で、もし三峡ダムが決壊した場合の影響について報じていたが、今回、その一部を抜粋して改めて再掲載する。
―――以下、再掲(一部抜粋)―――
新型コロナウイルスの発生源と目される武漢を抱える中国では443の河川が氾濫し、そのうち33の河川では過去最高の水位を記録。すでに数千万人が避難を余儀なくされている。大半の河川は中国最大、最長の揚子江の支流である。問題は後に述べるが、その揚子江に建設された「世界最大を誇る三峡ダムが決壊するのではないか」と危惧されていることだ。
実は、中国には10万基近いダムが建設されている。世界でもっとも多くのダムを保有しているわけで、「世界最大のダム王国」といっても過言ではない。とはいえ、三峡ダムのような巨大なものは例外で、97%のダムは貯水容量が1000万立方メートル以下の小型ダムである。揚子江に限らず、黄河や淮河などの支流にも数多くのダムが建造されている。
しかも、これらの小型ダムの大半は1950年代から70年代にかけて、人口増加に伴う農業生産を支える水利目的で建造されたもの。「大躍進」時代の産物にほかならない。さらにいえば、当時のダム建造技術は低レベルであり、財政的な制約もあり、大部分のダムは土や石を積み上げただけの小規模なもの。「寿命は50年」といわれており、すでにほとんどすべてが耐用年数をはるかに超えている。要は、5000基ほどのダムはいつ決壊してもおかしくない状況にあるわけだ。
毛沢東主席による「自力更生」の掛け声で建造されたものだが、やはりすでに3500基のダムはこれまでの大雨で決壊してしまった。旧ソ連の支援で1952年に完成した黄河上流のダムは1975年の洪水で決壊し、「人類史上最も悲惨なダム決壊事故」として記録されている。数十万人の死者が出たが、当時はその事故は隠蔽され、その事実が明らかになったのは20年以上の月日がたってからのことだった。
こうした事態を受け、当然のことながら、中央政府はダム補修工事を進めているが、地方自治体レベルでは資金や人材不足もあり、危険除去や補強作業は後回しにされてきた。実際、1998年には4000人以上が命を落とし、数百万人が住む家を失うという大洪水が発生した。その原因は「森林の伐採」と「土壌の浸食」といわれたものだ。そのため、急遽、中国政府は揚子江上流での森林伐採を禁止し、再植林計画を発動することになった。
ダムが決壊すれば、農地は水没し、農作物の収穫はゼロになってしまう。中国にとっては水との戦いは食料確保の戦いでもある。そんな「水と食の戦い」の経験を活かし、中国はアフリカの国々にダム建造というインフラ整備を推進している。しかし、自国内で発生する豪雨やダムの決壊という危機的状況に対して、十分な対応ができていないこともあり、アフリカ諸国からは中国によるダム援助プロジェクトに対して懸念する声が上がり始めた。
世界中で豪雨被害
他方、中国とは国境を接するベトナムでも巨大台風や地球温暖化が原因と目される海面上昇による経済的損害が増え続け、すでにGDPの1.5%が奪われている。これまで、南シナ海の権益をめぐり対立を繰り返してきた中国とベトナムであるが、今年7月以降、自然災害への対応や危機管理面での共同事業を推進することで新たな合意を形成する動きが出てきた。災害への危機感が対立する両国を歩み寄らせるきっかけをもたらした感がある。まさに「禍を転じて福と為す」となるものかどうか。対立する両国の今後の動きが注目される。シンガポールやインドネシアでも大雨の被害が報告されている。
さらに、南アジアに目を向けると、バングラデシュでは国土の3分の1が水没してしまった。例年6月から9月にかけてはモンスーンの季節といわれるが、今年は雨量が半端なく多い。隣国のインドでもこれまでにない規模の洪水が襲い掛かっている。ユネスコの世界遺産に認定されているアッサム州にあるカジランガ自然公園では85%が水没し、サイなど多くの野生動物が命を失った。
バングラデシュに流れる230の河川の内、53はインドとの国境線を形成しており、源流となるヒマラヤ山脈から流れ出るブラマプトラ河とガンジス河は両国内を横断する。こうした大小数多くの河川が氾濫したため、400万人が住む家を失ってしまった。また、インドの北部に位置するネパールでも大雨の影響で土砂崩れが相次ぎ、多数の人命が失われている。
被害にあっているのはアジアだけではない。北米のカナダやアメリカ北部でも6月だけで23億ドルの被害が発生している。アメリカでは南部を中心にハリケーンが猛威を振るい、6億5000万ドルを超える経済的損失が発生。中米から南米ブラジル、ペルーやチリにまで大雨が降り続いているのである。
その上、ヨーロッパでも被害は拡大する一方となっている。フランス、ドイツ、チェコ、ポーランド、オーストリア、ハンガリー、ウクライナと洪水は広がり、2万2000棟以上の建築物が飲み込まれてしまった。被害総額は1億5000万ドルを超える。ロシアでも「100年に一度」の大洪水が毎年のように発生するようになった。さらには、南半球のニュージーランドでも「500年に一度」と形容される程の深刻な被害が発生している。
中国が迫られる究極の選択
このように世界各地で大雨による洪水被害が同時に発生しているのは前代未聞のこと。なかでも中国の状況は世界の株価にも影響を及ぼし始めており、習近平政権にとっては深刻である。アメリカとの貿易戦争やコロナウイルスの発生源をめぐっての非難の応酬合戦が続く中国であるが、世界最大の水力発電ダムである三峡ダムが決壊の危機に瀕していることは看過できないだろう。
何しろ6月半ばの梅雨入り以降、中国の南部と西南部では、今日まで大雨と集中豪雨が続き、多くの河川が氾濫。その結果、31ある省の内、26もの省で洪水が発生。被災者は3800万人を突破。224万人近くが緊急避難を余儀なくされている。経済的な損失は5000億円近いといわれる。中国最大の淡水湖である八陽湖(江西省)では水位が23メートルに上昇し、警戒水位の20メートルを軽く突破してしまった。中国政府は人民解放軍の部隊10万人を投入し、人命救助や堤防増強工事に当たらせているが、焼け石に水といった状況のようだ。
そうしたなか、「揚子江中流に位置する三峡ダムが大量の雨水の圧力で決壊するのでは」との危惧が出てきたのである。建設中から「汚職の巣窟」とまで揶揄されたダムであり、使用されたコンクリートや鉄骨なども不良品が多く、完成直後であるにもかかわらず随所に亀裂が確認されたほどだった。ワイロが横行し、環境保全や下流域の安全対策はないがしろにされたのではないかとの批判が当時から渦巻いていた。
万が一、ダムが決壊すれば、約30億立方メートルの濁流が下流域を飲み込むことになる。4億人から6億人もの被災者が出るとの予測もあるほどだ。安徽省、江西省、浙江省などの穀倉地帯は水没の危機に瀕する。河口には上海が位置するが、その都市機能は壊滅的な被害を受けることになるだろう。上海に限らず、流域に位置する重慶や武漢などの経済、工業地帯には日本企業も多数進出しており、コロナ禍以上にサプライチェーンが寸断されることにもなりかねない。
と同時に、中国国内で問題視されるようになったのが、「ダムによる地震の誘発現象」である。これまでもダム建設による環境破壊が懸念されてきた。しかし、2008年に発生した四川大地震によって10万人近い犠牲者が出たことをきっかけに、中国の科学者たちが調査を進めた結果、「大地震の原因は四川省内の活断層の近くに新設されたダム」との結論に至ったからである。大型ダムの貯水による重みが地殻に深刻な圧力をかけたことが原因と見なされ、専門家の間では「ダム誘発地震」と呼ばれるようになった。
さらに深刻な懸念は、揚子江流域に存在する原子力発電所への影響であろう。放射能汚染の恐れは福島原発事故の比ではない。こうしたリスクを抱えた三峡ダムを決壊させないで済むにはどうすればいいのか。現在、ダムの上流でも下流でも洪水が発生しているため、ダムを放水すれば下流域の洪水は拡大してしまう。かといって、放水しなければダムの決壊は秒読み段階に入る。中国は究極ともいえる苦渋の選択を迫られているといっても過言ではない。
(文=浜田和幸/国際政治経済学者)