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鬼塚眞子「目を背けてはいけないお金のはなし」

東日本大震災から10年目、遺族は生保会社社員からの一言で、死亡保険金請求をした

文=鬼塚眞子/一般社団法人日本保険ジャーナリスト協会代表、一般社団法人介護相続コンシェルジュ協会代表
東日本大震災から10年目、遺族は生保会社社員からの一言で、死亡保険金請求をしたの画像1
全国から集まった応援物資

 壊滅した釜石市鵜住居(うのすまい)で、津波から九死に一生を得たジブラルタ生命の小原和子さんは、道路が寸断され、立ち往生します。大火も迫り、脱出を決意、車で走れる道を探したり、余震が続くなか、全線不通になった三陸鉄道の線路を危険と隣り合わせで歩き、やっと自宅に着いたのが地震発生から4日目でした。

 勤務先の営業所は全壊したことがわかり、当分、自宅待機となりました。携帯電話は約1週間後に復旧したので、仕事のやりとりは携帯でできるようになりましたが、お客様の安否は依然不明です。その確認をするのが保険担当者の役割となります。

 小原さんも高齢の一人暮らしの方の顔を思い浮かべては、寸断され、場所によってはガスも出ている道を命懸けで歩きながら、訪問を続けました。小原さんのお客様のなかでは、10名が死亡もしくは行方不明でした。震災直後は「毎日、いろんな感情を封じ込め、安否確認に打ち込むしかなかった。死亡保険金の請求手続きの第一号は元同僚で辛かったです。どうして暮らしていたか、記憶はあんまりないです」。

 犠牲になった一人に、震災直後にバスのなかから見かけたお客様のお子様もいました。お客様の自宅は高台にあったのですが、親族の家が沿岸部にあり、心配されたお客様の家族が子供とともにその家を訪問して、被害に遭われたのです。無情にも津波は親子を引き裂き、生後2カ月のお子様が亡くなりました。

「本当に可愛いお子様でした。お客様も誕生を本当に喜び、将来の子供のためにと、お客様は子供名義の保険に加入されました」

 小原さんは死亡保険金の請求のために訪問しなければならないのです。「どんな顔をして会えばいいのだろう。何を言えばいいのだろう」と思いながら、お客様の勤務先を訪問すると、ばったりお客様に出会いました。「このたびは……」というなり、あとの言葉が続きません。お客様も黙って下を向いています。口を切れば、涙が止まらなくなりそうでした。しばらく沈黙が流れます。「今日はこれで失礼します。改めてお伺いして、きちんとお手続きをさせていただきます」と言うのが精一杯でした。「プロ失格」と小原さんは思ったと言います。

 医療関係者や自衛隊員や救急隊員、警察関係者などは、時として自分の命を危機にさらしても目の前の命を助けることに全力を注ぎます。

「津波から助かった私の、プロとしての仕事は何かと考えました。泣いている場合ではない。保険金を早くきちんとお届けすること、その後もお客様に寄り添うこと」

 後日、先のお客様を訪問し、手続きを完了しました。後年、待望のお子様が誕生の際には、喜びを分かち合い、健やかな成長を祈って靴を贈り、大変喜んでいただいたそうです。

カレンダーと雑巾

 避難所を回りながら、何が不足しているのかを聞いて回ると、「震災直後は水とかガソリンという答えが多かった」と言います。

「『水やガソリンもうちには余分にあるから大丈夫よ』と言ってお渡ししましたが、実は我が家には余分な水もガソリンもなかったのです。恰好をつけて言ったのではなく、避難所にいる方は、家だけではなく自動車も流されている方が本当に多かったのです。普段でさえ車がないと買い物に不便な地域です。我が家は車があるので『なんとでもなる』と思いました。避難所にいる方は今日を生きること、この時間を生きることで精一杯というのが実態でした。

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救援物資のランドセル

 ジブラルタ生命本社からは被災した社員やお客様だけでなく、食料やランドセルなど地域の人への救援物資も少しずつ届くようになりました。

「被災した人の高いニーズながら、救援物資として不足しているのが、カレンダーと雑巾でした。会社に連絡したところ、すぐに全社からカレンダーを集めてくれたので、避難所の方にお届けしました。避難所の方が、カレンダーに救援物資が何日に届くのかを書き込んで、それを支えにされていたのです。津波被害に遭っていない方はピンと来ないかもしれませんが、津波被害後の汚れは想像を絶します。雑巾はいくらあっても足りません。会社から送られてきたタオルを雑巾にしようと思い立ち、朝5時から雑巾を手縫いして、各避難所にお届けしました。恐らく500枚は手縫いをしたと思います。

 特別なことをしたとは思いません。自分でできることをさせていただきました。周囲を見渡しても、目の前のお困りの方に手を差し伸べていらっしゃいます。そこに何の奢りもなく、それが人間の本質だと実感しました」

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到着した応援物資の荷下ろし

10年が経過した被災者たちの思い

 10年が経過して、被災者の方の震災に対する受け止め方は、どうなのでしょうか。

「まだ悲しみの中にある人、区切りをつけて前を向こうと思う方など、まちまちです」

 なかには、家族も無事、自宅も無事だった小原さんに対して「何がわかるの!」と言い放つ人もいたそうです。

「それは言われて当然でしょう。その方の無念さや待ち受けるご苦労は、わかるはずがないからです。実は自宅は無事でしたが、子供の家は津波で全壊しています。子供の苦労は見てきましたが、それだってわからないかもしれない。そう思って周囲に言ってきませんでした。温かく見守ることだけが、寄り添うことではない。時として、あえて厳しいことを言わなければならないことを、震災を通じて痛感しました。

 お客様のなかに、10年を過ぎても消息が不明のままの方がいらっしゃいます。ご親族の方は、死亡届の提出も保険金請求もされていませんでした。これまで傍で見ていて、その方の苦しみがわかるからこそ、あえて嫌な役割を引き受けることにしました。『希望を捨ててはいけないけれど、10年近くも消息がわからなかったら、どこかで元気でいるという可能性は低いんじゃないかしら。10年を一区切りとして、成仏をお祈りすることも場合によっては必要になるんじゃない?』と諭しました」

 そのお客様から死亡保険金請求の申し出があったのは、それから少ししてからのことでした。

いつ、どこで災害に遭うかはわからない

 10年が経過して、衝撃の事実が判明したこともあります。小原さんが子供の被害を話さなかったように、身内の被害を第三者に話さなかったお客様もいらっしゃいます。地震、津波、火事のトリプル被害で4人の親族を亡くされたお客様がいらっしゃることを、最近、マスコミ報道で知ったそうです。

「亡くなられた一人はまだ小さなお子さんで、発見されたのは片手の肘から下だけでした。どれほど苦しく怖い思いをしたのか、その手はぎゅーっと固く握りしめられた状態で発見されたそうです。報道後、そのお客様と会いました。『大変だったことを知らずに申し訳なかった。忘れることはないと思うけど、時として上手に忘れることも大切ですよ』と伝えました。もちろん、これからもほかのお客様と同じように、ずっと寄り添っていきます。

 10年が経過して壊滅した町には建物も建ち、表面上は普通の暮らしが戻っているように思います。私の子供や被害に遭った人を見ていると、人間は強いとも時間は優しいとも感じます。今、辛い思いをしている人でも、絶対に挫けないでほしいと願っています。

 ふいにお亡くなりになった方を思い出すことがあります。悲しみが薄れることはないですね。どんな命もプライスレスだと思いますが、子供を亡くした親や、親を亡くした子供さんのことを思うと、たまりません。特に子供は大人と違いますから、学校やいろんなところで親子が一緒にいる様子を見て、どう思うのかと思うと、胸が締め付けられます。そんな時に、親を亡くしたお子様のための奨学金制度を知りました。そこは10年間の運営と決められていたので、先日、最後の振り込みをしました。どこかのお子様のお役に立っていたら嬉しいです」

 被災地以外の人から「被災地の人にどうやって接したらいいのかわからない」と言われることがあります。10年前と今は違うと思いますが、今だったら「大変でしたね」とお伝えして、普通に接してあげてほしいと思います。震災を忘れることは絶対にないでしょうが、被災地の人がこれからもずっと毎日、一日中、悲しむ必要はないと思います。日々の暮らしのなかの小さな喜びをかみしめることも大切だと思います。

 ただ、少し心配していることがあります。子供の頃、震災を経験したはずなのに、今後、自然災害は発生しても、自分の身に起こるとは思っていない若い世代の人が少なからずいらっしゃいます。声を大にして申し上げたいのは、前に災害に遭ったから、二度と災害に遭わないと思わないこと。いつ、どこで災害に遭うかはわからないことを、まず心に刻んでほしいですね。

 そして、地震に限らず、自然災害が発生したら、気になるからと自宅や職場に戻らず、迷わず、脇目も振らず、「てんでんこ」です。その際に、誰かを振り切って逃げることがあっても、自分を絶対に責めてはいけない、周囲もそうです。それが本当の「てんでんこ」だと思っています。

 私自身、被災後、復興の真っただ中で保険の営業をしていいものかと悩んだ時期もありましたが、そんな時だからこそ、私たちが積極的に生命保険の必要性を伝えていかなければいけないと決意し、活動を続けています。万一のときのために経済的な保障は忘れずにしっかりと備えておかなければいけないと思うからです。

 震災を体験して、人と人の繋がりを強く感じるようになりました。何かが起きてもお互いに助け合い、支え合う。そして、一つのものを分け合う気持ちが大事で、この気持ちがあれば、どんなことも乗り越えられると信じています。

 命は自分で守るもの、人の本質は優しく支え合うもの――。それを教えてくれた10年間だったように思います。

(文=鬼塚眞子/一般社団法人日本保険ジャーナリスト協会代表、一般社団法人介護相続コンシェルジュ協会代表)

●小原和子(おばらかずこ)さん

釜石市出身。昭和25年5月15日生まれ。1981年5月、協栄生命に入社。2011年震災当時はジブラルタ生命の宮古営業所の所属。2015年、2017年は、成績優秀者が入会できるMDRT成績資格会員。

鬼塚眞子/ジャーナリスト、一般社団法人介護相続コンシェルジュ協会代表

鬼塚眞子/ジャーナリスト、一般社団法人介護相続コンシェルジュ協会代表

出版社勤務後、出産を機に専業主婦に。10年間のブランク後、保険会社のカスタマーサービス職員になるも、両足のケガを機に退職。業界紙の記者に転職。その後、保険ジャーナリスト・ファイナンシャルプランナーとして独立。両親の遠距離介護をきっかけに(社)介護相続コンシェルジュを設立。企業の従業員の生活や人生にかかるセミナーや相談業務を担当。テレビ・ラジオ・新聞・雑誌などで活躍
介護相続コンシェルジュ協会HP

Twitter:@kscegao

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