織田信長が活躍した戦国時代。織田信長を取り巻く人物やその時代を生きた人々はどんな暮らしをしていたのか。信長の嫡男の信忠や織田家に仕えて安土や岐阜の城下に暮らした家臣たちやその家族、町の人々、織田軍と戦い滅んだ武田家の人々とその家臣たち、農民といった人々の衣・食・住から当時の生活や文化がどのようなものだったのかを知ることができるのが、『もしも戦国時代に生きていたら – 武将から市井の人々の暮らしまでリアルシミュレーション –』(小和田哲男、辻明人監修、ワニブックス刊)だ。
ルーティンが多すぎる!戦国時代の武士の朝の習慣
本書では、天下統一を目前にした武将・織田信長をとりまく人々はどのように暮らし、戦っていたのかを、太田牛一の『信長公記』やルイス・フロイスの『日本史』など、織田信長と同時代を生きた人々が書き残した一次史料を主な材料として、天正10年(1582年)の1月1日から本能寺の変が起きた同年6月2日まで約5ヶ月間の出来事を物語形式で再現していく。
武士の朝はどのように始まるのか。信長か信忠の馬廻と思われる佐久間兵大夫の例を見てみよう。本能寺の変のとき、明智光秀軍と戦い討死した人物だ。
天正10年1月7日の朝、兵大夫は寅の刻(午前4時前後)頃に目覚めた。夜着を脱ぎ、寝床を離れ、手綱(下着。ふんどしのようなもの)を締め直したあと、枕元に畳んだ小袖(筒袖で袖口の小さい和服)を着る。
枕元に置いておいた小刀を腰に差し、板戸を開け屋敷のまわりを見回り、馬の様子を確認。土間に戻った兵大夫は、水瓶の水を茶碗に汲んで飲み干したあと、今度は大きめの木桶に水を汲み、庭に出て行水。 手ぬぐいで体を拭いてから手綱を締め直し、再び小袖をまとった兵大夫は、東の空に柏手を打って熱田大明神(現在の熱田神宮)を遥拝し、座敷に戻ると髪を結い直し、「南無妙法蓮華経」と四半刻(30分ほど)唱えた。そして、出仕の時間になると、袴と肩衣を身につけ、小者(武士に仕えて雑事を行う人)に用事を言いつけ、太刀を佩いて城へと向かう。これが武士の朝の身支度だ。
現代を生きる私たちと同じように、仕事に行く前は朝の支度があり、戦国時代を生きていた人々にもそれぞれの日常の暮らしがある。本書の目的は「記録に残ることのなかった人々」の暮らしを再現すること。当時の生活や文化を知ることで、より深みをもって歴史を学べるはずだ。(T・N/新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。