資源に乏しい日本では、それらを海外に依存している。海外の供給地と国内企業を結び付けるパイプ役は、長らく総合商社が務めてきたが、企業のグローバル化やIT化が進み、一時は総合商社不要論も出た。しかし、総合商社は近年、旧来の資源事業を拡大させるとともに、新規事業への参入も加速させており、いつしか不要論は消えた。
三菱商事や伊藤忠商事、三井物産など大手総合商社5社は、かつて「ラーメンからミサイルまで」「売れるものは何でも扱う」と形容されたが、特定の分野だけを扱う専門商社も存在する。そんな専門商社のなかで今、存在感を増しているのが、水素社会の推進役を担う岩谷産業だ。
環境を重視する風潮が強まり、国や地方自治体ではクリーンエネルギーを積極的に導入する動きが見られ、特に水素の活用が模索されている。
東京都は数年前から水素社会の実現を掲げ、2017年には交通局に水素で発電する燃料電池バスを導入。また、2016年には水素情報館「東京スイソミル」をオープンさせた。水素エネルギーへの理解を深める学習体験や水素社会を啓発するための情報提供を柱としたミュージアムだ。
水素社会は発電分野がリードしている。そして、水素で発電された電気は、バスの動力源として積極的に使われている。自動車の燃料であるガソリン使用量を抑制することと、排気ガスによる二酸化炭素(CO2)削減という2つの目的があるからだ。それはヨーロッパに端を発した脱石油化の流れが大きく影響している。
しかし、いきなり水素エネルギーを活用してバス・自動車を走らせるといわれても、バス事業者はもとより車体メーカーにも水素を活用するノウハウはない。そこでクローズアップされたのが、エネルギー専門商社の岩谷産業だ。液化石油ガス(LPG)の販売で業績を拡大させた同社は、かなり早い段階から水素エネルギーに着目し、研究を重ねてきたため、同分野では同社が独走していた。液化水素にいたっては、国内シェアがほぼ100パーセントという独占状態にある。
70年以上も前から取り組み
2014年に東京都の舛添要一都知事(当時)が水素社会の推進を打ち出すと、水素エネルギーが注目されるようになる。ビジネスチャンス到来とばかりに、大手自動車メーカーや総合商社が参入を検討した。しかし、思うように水素事業は進められていない。業界関係者はいう。
「総合商社は海外から鉄鉱石や石油、石炭を買いつけるノウハウはありましたが、水素というどこでも手に入るエネルギーはまったくのノーマークでした。そのため、水素社会への取り組みをビジネスチャンスと見ても、岩谷産業にはまったく太刀打ちできなかったのです。同社は70年以上も前から水素エネルギーに取り組んでおり、一朝一夕でどうにかなる相手ではありません。それは総合商社に限らず、世界のトヨタでも同じです」
誰も水素で自動車や電車を走らせられるわけがないとタカをくくっていた頃から、岩谷産業は水素エネルギーの活用を模索してきた。だから、岩谷産業は水素を知り尽くしている。他社が簡単に追随できるわけがないのだ。
クリーンエネルギー重視の風潮が強まり、その影響からトヨタがFCV(燃料電池自動車)やFCバスを開発。JR東日本も水素エネルギーを活用した電車の運行を検討し、車両を製造した。JR東日本は一部の路線で水素車両の試験運転を始めている。このように水素エネルギー活用が活発になっているが、岩谷産業が下支えしており、同社なくしてこれらは成立しない。東京都環境局の職員は言う。
「東京都は水素バスの導入を進めるなど、水素社会の実現に向けて動きを強めています。今後は、マイカーの水素自動車の購入補助なども拡大していくと思われますが、そのためには水素ステーションを拡充しなければなりません。そこで、東京都は水素社会実現のため、水素スタンドの拡充を打ち出しました。企業側の負担を減らすために、都有地を用地として貸し出そうとしました。そうした都のプロジェクトに対して、手を挙げたのは岩谷産業だけでした」
脱化石燃料が進むなかで、環境にやさしいと水素エネルギーがもてはやされるのは当然の流れだ。そして、その潮流は今後も強まるだろう。水素エネルギー事業を独占している岩谷産業なくして、経済活動のみならず社会全体が成り立たなくなる日も近いかもしれない。一般的に、岩谷産業という会社はいまだ無名に近い。しかし、同社の技術力はトヨタやJR東日本を取り込むまでになっている。岩谷産業が、経済界のみならず社会を席巻する日は近いかもしれない。
(文=小川裕夫/フリーランスライター)