財閥企業に向けられる不満の矛先
サムスンの危機はまだ続く。サムスン関係者と話をしていると、「韓国経済にとって、もっとも大きなリスクは政治リスクですよ」という言葉をしばしば聞く。三代目の逮捕についても、そのフレーズを聞いた。
韓国はこれまで、財閥企業の業績拡大をテコに経済成長してきた。その結果、韓国経済は、サムスン、現代、ロッテなどの財閥企業による寡占状態が続いた。中小企業の育成は進まず、大企業と中小企業の格差は広がるばかりだ。なかでも、ひとり勝ちのようにして繁栄を続けるサムスンに対して、韓国社会からの反感が強い。
そして、より深刻なのは、国民の格差の拡大だ。統計庁によると、労働者の33%は非正規職が占める。非正規職のなかには低賃金で長時間の労働を強いられている人も少なくないといわれる。また、若年層の失業率は10%を超える。経済的に厳しい状況に置かれた彼らの不満の矛先は、自ずと恵まれた待遇の財閥企業に向けられる。
私は数年前、サムスンを取材するため、ソウルの江南駅に隣接した「サムスンタウン」を訪れたが、2時間にわたる取材中、街頭で行われていたシュプレヒコールが止むことはなかった。サムスン社員に尋ねると、「いつものことですよ。365日やっています」と苦笑していた。
サムスンにしてみれば、日常茶飯事だということらしいが、韓国国民のやるせない思いが、財閥企業に対する不信、不満、“反財閥”となって、韓国社会を引き裂いていることは確かだ。財閥に対する社会の反発は、想像以上に強いのだ。
オーナー社長の大決断
ところが、サムスンは不死鳥のごとく冒頭に触れたようによみがえったのだ。
たとえば、サムスンは「ノート7」の生産、販売打ち切りからわずか半年後の17年4月21日、スマホ旗艦機種「ギャラクシーS8」を市場投入した。サムスンは「ギャラクシーS8」の開発にあたり、製造と検査の体制を大幅に強化したほか、バッテリーの不具合に関しては不良率ゼロを目標に安全性検査を徹底した。結果、「ギャラクシーS8」は、発売後約3週間の出荷台数が1000万台にのぼった。
サムスンはどうして、かくも早くにスマホの業績を回復できたのか。ズバリ、サムスンのスマホ発火事故に対する動きは早く、しかも的確だった。16年10月11日、発火事故が相次いだ「ノート7」の生産、販売を思い切って打ち切った。この決断が大きかったのだ。
生産停止に踏み切らざるを得ないほど危機的状況であったのは確かにしても、世界中で「ノート7」の販売を全面的にストップさせた。思い切った決断といえる。簡単にできるものではない。
「そういう意思決定ができるのは、グループを事実上率いる創業家の三代目で、サムスン電子副会長の李在鎔氏以外にはいません」と、前出のサムスン関係者は語る。つまり、オーナー経営者だからこそできた決断だという。いくら有能でも、雇われ経営者には、おいそれとそんな思い切った決断はできない。結果責任がとれないからだ。リスクを賭けた決断を避け、とたんに守りに入るのが普通だ。
実際、サムスンはこれまで、今回と同じように、ここぞというときにオーナー社長が大きな決断をしてきたのである。
李在鎔氏不在でも経営は揺るがない
李在鎔氏の逮捕も、予想されたほど経営には影響がなかった。なぜか。経営トップが不在でも、揺るがぬ経営体制が築かれているからだ。
実は二代目会長の李健煕氏は2000年以降、各グループ会社の社長に大幅に権限を委譲するなど、三代目へのバトンタッチの準備を進めた。大きな方向性だけを示し、具体的な戦略は各グループ会社の社長が決める仕組みを構築した。その結果、グループ内の意思決定は格段に早くなったといわれている。
「サムスンは、システム経営体制を築いていますから、一時的に政治的な影響でトップが不在だとしても、経営自体が影響を受けることはないと思います。社長とその下の専務クラスの役割と責任は決まっていますので、副会長が不在でも問題はないんです」(前出の消息筋)
つまり、李在鎔氏が不在でも、各グループ会社の社長のリーダーシップが発揮されれば、事業運営に支障のない体制が構築されているというのだ。
車載事業で巻き返しを図る
では、サムスンはこうした数々の困難を克服して、今後もこれまでと同様に成長を続けられるのだろうか。現に、サムスングループの目下の懸念はここにある。
サムスングループは10年5月、太陽電池、自動車用電池、医療機器、LED、バイオ医薬品の5分野を新たな成長分野と位置づける大規模な投資計画を発表した。この成長5分野に対して20年までに23兆3000億ウォンを投資し、新分野だけで売上高50兆ウォンを目指す方針である。
バイオにしても、電池にしても、競争が激しい分野である。5分野への挑戦にあたり、トップ不在による影響はないのか。また、この5分野が果たして、これからも成長事業であり続けるといえるのだろうか。バイオ以外は成長事業としての可能性が見えないといわれているが、果たしてそうなのか。
実は私は意外な場所で、サムスンの動向に関するコメントを聞いた。
「サムスンとハーマンの連合に勝つ」
5月30日に開かれたパナソニックの投資家向けの事業説明会の席上、同社のオートモーティブ&インダストリアルシステムズ社社長の伊藤好生氏は、そう発言したのだ。
これは、いったいどういうことか。サムスンの車載事業への本格参入を脅威と見ているのは、実はパナソニックだけではない。世界中の自動車部品メーカーは、サムスンの動向を注視している。いってみれば、この分野でもサムスン電子は日本メーカーの強烈なライバルなのだ。
サムスン電子は16年11月、車載を含む多数のオーディオブランドをもつ米ハーマン・インターナショナルを、80億ドル(約8600億円)で買収すると発表した。韓国企業による外国企業の買収額として史上最大の金額だ。サムスン電子が車載事業に社運を賭ける大決断をしたことを意味する。
サムスン電子が車載に関する事業部を新設したのは15年12月で、15年ぶりだ。李在鎔体制への移行が背景にある。李在鎔体制を盤石にするため、半導体に加えて新しい収益事業が必要とされるが、それが電装事業だったのだ。自動車産業の構造変化のなかで、電装分野に大きな商機を見たからにほかならない。市場を先読みして一気に攻め込むのは、サムスンが得意とするところだ。
彼らが狙うのは、コネクテッドカー用のテレマティクス分野だ。インターネットと接続するコネクテッドカーの市場規模は、2030年に8890万台と予想され、新車の8割以上がコネクテッドカーになるといわれている。
「これからのビジネスで一番変わるところは、自動車だと思います。自動車は、すでに従来の概念をこえています。ハードをつくる自動車メーカーが、アップルなどのIT企業の下請けになる日がやってくるかもしれません」(前出のサムスン関係者)
サムスンの狙いは、保有する半導体やバッテリー技術をハーマンの技術と融合させ、競争力の高い車載システムを開発することだ。それは、奇しくもパナソニックの車載事業の方向性と見事にバッティングする。
パナソニックもまた、車載事業をシステム領域へと拡大するために、ドイツの車載コックピットソリューション向け組み込みソフトウエアの開発会社オープンシナジー社を子会社化するなど、着々と布石を打っている。
サムスン電子はこれまで、スマホやタブレットなどに搭載されるOSのTizen(タイゼン)に力を注いできた。車載への参入にあたり、Tizenが力を発揮するのはいうまでもない。
「サムスンの場合、自らOSを開発しています。半導体やスマホに力を入れてきたことも、自動車産業が変わっていくなかで、きいてくると思います」(同)
自動車分野におけるサムスンの強みは、サムスン電子やサムスンSDIなどの系列会社とのシナジー効果が期待できることだ。
たとえば、サムスンSDIはハンガリーでEV(電気自動車)の電池を年約5万台分生産できる新工場を完成させ、18年春以降、本格的な量産を始める。サムスンSDIは、すでに韓国と中国でも電池工場を稼働させている。
釈放された李在鎔氏が、グループ経営の陣頭指揮をとる日はそう遠くはないだろう。そのとき、サムスン電子が自動車部品事業を主力のひとつとしているのは間違いない。
サムスンにとって当面、苦難は続くだろう。しかし、苦難を乗りこえ必ずやり遂げるのが、これまでのサムスンである。李在鎔氏がどのような戦略のもとにサムスンを成長させるのか。怪物サムスンの快進撃は止まらない。
(文=片山修/経済ジャーナリスト、経営評論家)