マッチョな豚研究の主導者であるソウル大学校(Seoul National University)のジン・ス・キム(Jin-Soo Kim)博士は、この遺伝子改変技術は、原則的に自然に起こる遺伝子の変異を加速しただけと主張しています。このため、博士らはマッチョな豚が、遺伝子組み換え食品の規制対象にならず、食用に供されることを期待しています。つまり、このゲノム編集を利用した食品が市場に開放されると、さらに遺伝子組み換え食品の表示の定義が議論となるでしょう。
もう一つの米国人の懸念
世界貿易機関(World Trade Organization:WTO)は、自由貿易の促進を目的として貿易に関するさまざまな国際ルールを定める機関です。米国では、食肉の生まれ育った国や、処理された場所を表示することを、食肉原産国表示制度で義務付けていました。ところがWTOは今年5月、この制度が不公平で貿易の差別になるというカナダやメキシコの主張を認める判定を下しました。その後、米議会はWTOの圧力により、食肉原産国表示制度の撤廃を可決しました。つまり、米国では肉の原産地がわからなくなります。
このニュースで、米国内での食の安全性への不安が高まっています。さて、環太平洋パートナーシップ(Trans-Pacific Partnership:TPP)協定は、オーストラリア、ブルネイ、カナダ、チリ、日本、マレーシア、メキシコ、ニュージーランド、ペルー、シンガポール、米国及びベトナムの合計12カ国で進められている経済連携協定です。
現在、米国の多くの州では、遺伝子組み換え食品の表示など新しいルールを検討しています。ところが、もし将来ある州で表示のルールが可決されても、WTOの例のように、国や州の法律がTPPによって撤廃されることが懸念されています。つまりTPPのような貿易協定は、政治家やその国の法律が、規制への決定権を失うことが懸念されています。
これは米国だけではなく、日本を含めたTPPの加盟国すべての問題だと思います。つまり、例えば日本においても、遺伝子組み換えサーモンも原産国や遺伝子組み換え食品という表示も撤廃される可能性が懸念されます。
先ほどの開高健さんの続きです。
「それに、失ったものに気がついていないだけ。あるいは手に入れたものについて気がついていないだけ。失ったものと手に入れたもののバランスシートは誰にもわからない」
TPPによる自由貿易の促進により、巨大企業のビジネスチャンスが拡大することが期待されていますが、そのために、食の安全や中小企業の競争力が失われることが懸念されます。
(文=大西睦子/内科医師、医学博士)