ドラマ『病室で念仏を唱えないでください』が問いかける「スピリチュアルペイン」へのケア
ある高齢者施設でのこと。ショートステイで時々その施設を利用する認知症の男性は、思い出したように周囲がびっくりするような大きな声でお経を唱えることがある。その声が響き渡ると、介護職や言語聴覚士などのスタッフが、「さすが僧侶だけのことはある。何十年も口にしてきたことは忘れないのね」と、施設内を徘徊する男性に寄り添う光景が頻繁に見られる。
しかし一方で、その利用者がお経を発するたびに「お経なんて気持ち悪い。縁起でもない。一緒にヘラヘラ笑っているスタッフの気が知れない」と不快感をあらわにする利用者もいる。
『病室で念仏を唱えないでください』というマンガ原作の連続ドラマが現在放送中だ(原作マンガは小学館刊、ドラマ版はTBS系)。僧侶でありながら医師として病院に勤務する「僧医」が主人公。時には救急の現場に法衣で現れるという現実離れしたシチュエーションもあるが、ストーリーを通じて生と死を考えることができる作品だという。
葬式仏教と揶揄されて久しい。このドラマのなかでも、病室に法衣で現れる主人公を前に「縁起が悪い。まだ生きてるよ」等のセリフが出る。現代の生活のなかで、仏教と関わりのあるシーンとして真っ先に思いつくのが葬儀であることは否定できず、無理もない。
しかし、聖徳太子が建立したと伝えられる四天王寺は、「四箇院」といって、貧困や身寄りのない人を救済する「悲田院」、薬局・病院に当たる「施薬院」「療病院」、現代の寺院そのものの「敬田院」から成り立っており、仏法を伝えるだけではなく、医療・介護・福祉が寺院のなかで行われていた。
ところが時代を経て、寺院の役割も変化し社会福祉事業がその手から離れていく。医療・介護・福祉はそれぞれ専門分野化し、寺子屋などの教育事業も学校がそれを担うようになった。寺院には、仏法を伝える機能と葬送・お墓の文化が、資本主義の中で形成されていったのだ。
その結果、寺院との関わり方が変化した。寺社仏閣めぐりや座禅、写経などの講座は盛況でも、信仰心をお布施という形で表現することに対し、抵抗のある人も少なくない。
おざなりにされる「スピリチュアルペイン」に対するケア
医療・看護、介護・福祉のテキストには、いずれにも人生の最終段階のことが触れられており、その段階で生じる4つの苦痛(ペイン)について必ず学ぶ機会がある。4つの苦痛とは、呼吸困難、嘔吐といった「身体的苦痛」、不安や苛立ち、鬱状態など「精神的苦痛」、経済問題や仕事など社会や家庭の中での役割の変化で生じる「社会的苦痛」、そしてもうひとつが「スピリチュアルペイン」である。このスピリチュアルペインに統一された定義はなく、「なんのために生きているのか」「自分が死んだらどこに行くのか」等、宗教や哲学的な要素が絡んでくる。
病院でも介護施設でも、終末期においては心理的・社会的問題の解決や、退院支援などが業務指針として示されてはいるが、スピリチュアルな側面、特に信仰については、日本ではまったくといっていいほど触れられることはない。日本における世間一般では、人間の終末期の段階に宗教がかかわることにあまり期待されていないように感じるが、死の正体が謎である以上、スピリチュアルペインに対するケアは永遠のテーマなのではないだろうか。
“仏教版ホスピス”ともいえる「ビハーラ」
ホスピスという言葉は知っていても、「ビハーラ」という言葉は「聞いたことがある」程度の人も多いだろう。ホスピスとは、ターミナルケア(終末期ケア)を行う施設、あるいは在宅で行うターミナルケアそのもののことを指し、そこでは身体や心の痛みを総合的にやわらげることを目的に緩和ケアが行われる。
一方でビハーラは、日本の社会的・文化的・宗教的な風土や死生観により合致したケアを、1985年に田宮仁氏が「ビハーラ」として提唱したもので、その語源は「寺院、休息の場所」を意味するサンスクリット語から派生したものである。ビハーラ病院・病棟には、ビハーラ僧をはじめとした僧侶が常勤し、日常の勤行やさまざまな仏教行事を行っている。そういった病院・病棟では、僧侶の姿で病院に行っても断られることがない。
小籔千豊氏をモデルにした「人生会議」のポスターで話題となったように、人生の最終段階における医療の関わりには活発な議論が飛び交う。しかし延命治療云々だけではなく、スピリチュアルケアを抜きに看取りの文化は形成されないことを、医療も宗教者もしっかり認識するべきなのではないだろうか。
高齢者施設に入所していた勝山サエさん(仮名)は、2019年秋、89歳で人生の幕を閉じた。足腰が不自由で人見知りだったためか、居室で本を読みながら過ごすようなもの静かな方だった。居室の本棚には愛読書と共に複数の先祖の位牌と夫の位牌が並べられ、毎朝手を合わせるのが日課だったサエさん。
しかし施設に入所して約1年半後、少しずつ食べ物が喉を通らなくなり、「これ以上回復の見込みがない」と医師による判断のもと、施設での看取り介護計画がたてられた。自分の衰えを人から言われるまでもなく察したのだろうか。ある日から本棚に並べられた位牌と対峙する時間が増え、車椅子に座ったまま位牌の前に1~2時間ほどじっと向き合うことが多くなった。それは亡くなる1週間前まで続いていた。
サエさんにとって位牌は、先祖や夫の分身であり、無意識に位牌を通して死後の世界と向き合っていたのだろうか。スピリチュアルケアの実践が自然に行われていたのは想像できる。
(文=吉川美津子)
【プライバシーに配慮しすべて仮名とし、個人や施設が特定されないように一部変更して紹介しています。】