日常生活を送るうえで困らなければ、認知症かどうかなど問題ではありません。生活上の困難に関しては、早期に把握して早期に対応することが重要です。しかし、現実はなかなか簡単ではありません。
生活上の困難というのも幅広く多様で、「認知症が心配で眠れない」というのも、生活上の困難といえなくもありません。実際に筆者がかかわっている問題のかなりの部分は、この「認知症が心配」なために起こってくる生活への影響です。
そんな認知症が心配な人に対して、「早期発見は無駄ですよ」「そんな早期から効果があるかどうかわかっている治療はないのですよ」と説明してみても、あまり役に立ちません。そういう理屈とは関係なしにとにかく心配なわけですから、いくら理屈を説明してもうまくいかないわけです。
検査をして異常がないことを示せればいいわけですが、それもまた困難です。
たとえば長谷川式認知症スケールなどの質問形式の検査では、なかなか満点とはいかず、30点満点の29点の人でもその1点減点のために心配が止まらなかったりします。さらにMRI検査をしたりすると、70歳を超えれば30%以上の人に隠れ脳梗塞(症状はないが画像上、脳梗塞を疑う影がある)が見つかり、そうなるとまた心配が止まりません。さらに運よくどちらも異常なしとなった人も、また3~6カ月ごとに検査をやめられなくなったりします。
この記事を読んでいる方自身や、その家族のなかには思い当たる方が大勢いるのではないでしょうか。こういう方々に向けてまず言いたいのは、検査などしなくたって、今の日常生活で大丈夫ならとりあえず大丈夫ですよ、ということです。
認知症を早期発見しなくても困らない社会
しかし、やっぱりそれでは心配が収まりません。
そうなると重要なのは、世の中自体のあり方の問題です。認知症が心配になるのは、認知症になると社会から多かれ少なかれ困った存在とされ、差別されるからです。社会が認知症を問題視したり、差別したりしなければ、多くの人は認知症を心配しないでしょう。
認知症になっても困らない、困っても容易に助けてもらえる社会、その実現が一番重要です。それがどんな社会なのかというと、少なくとも早期発見・早期治療を重視する社会ではないでしょう。早期発見・早期治療を重視する背景には、必ず「認知症になるのは困ったことだ」という大前提があるからです。