中年男性の7割が「人生つまらない」…「普通の人生」に潰され、家族のためにひたすら働く
通学時にうんこを漏らし、学校のトイレで水洗いするも、完全には汚れを落とせず、授業中に異臭を放ってしまうのだ。誰もが臭いに気がついていながら、同時に、誰もその臭いについて口に出せないことで、クラスには不穏な空気が流れる。いたたまれなくなった山田少年は、学校を早退した。
翌日、友達の1人が「順三、昨日どうしたん? なんで帰ったん?」とたずねてくる。ここで「うんこ漏らしたから帰ってん……テヘヘ」と返すことができれば、ひきこもることもなく、学校に通い続けられたのではないか、と男爵は回想している。
確かに、友達に茶化されることを受け入れることができたなら、この“事件”の後も、学校に居場所があったに違いない。六甲学院が男子校であることを考えれば、なおさらである。しかし、「勉強も運動もよくできる優秀な生徒・山田君」の高すぎるプライドが、いじられる側に回ることを許さなかった。
このエピソードからは、次のような教訓を得ることができる。
人生が順調に推移していればしているほど、自分の過ちを認めにくくなり、その結果、かえって事態を悪化させることがある。問題を認めず、謝罪が遅れたがために、逆に追い込まれることになった政治家や企業の経営者は数えきれない。
世の中には、負けてしまったがゆえに強いられる不自由もあるが、勝っているがゆえの不自由もある。「勝ち組」の立場にいるからこそ、「男はかくあるべし」という理想像にからめとられ、気軽に冗談を言うことも人に頭を下げることもできなくなってしまうのだ。
話を戻そう。高校に進学できなかった山田少年は、近所のコンビニエンスストアでアルバイトをしながら自宅で生活していたが、一緒に暮らすことに耐えきれなくなった母親に懇願され、隣町で一人暮らしをすることになった。
「今頃、父や母や弟は、家であったかいご飯を食べているだろうか、同世代の子達は、楽しく毎日を送っているんだろうな……などと考えると、自然と涙がしみ出してくる。そして、随分『余ってしまった』自分の人生の敗戦処理などを考え始めるともう駄目であった。
もう勝ち負けの決まった終わったゲームを続けなければならない理由などないのである」(『ヒキコモリ漂流記』より)
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『不自由な男たち その生きづらさは、どこから来るのか』 男は不自由だ。子どもの頃から何かを成し遂げるべく競争するように育てられ、働くのが当たり前のように求められてきた。では、定年を迎えたら解放されるのか。否、「年収一千万の俺」「部長の俺」ではなくなったとき、「俺って何だったんだろう」と突然、喪失感と虚無感に襲われ、趣味の世界ですら、やおら競争を始めてしまうのだ。本書は、タレント・エッセイストとして活躍する小島慶子と、男性学の専門家・田中俊之が、さまざまなテーマで男の生きづらさについて議論する。男が変わることで、女も変わる。男女はコインの裏表(うらおもて)なのだ。