中年男性の7割が「人生つまらない」…「普通の人生」に潰され、家族のためにひたすら働く
そもそも「普通の人生」すら難しい、現代の男たち
男性にとって「普通の人生」とは、「卒業→就職→結婚→定年」という一本の道である。「卒業」の前段階でつまずいてしまった山田少年は、「就職→結婚→定年」と続くはずだった未来を思い描くことができない。人生が「余ってしまった」という表現はあまりにも的確であり、だからこそ、10代の少年が抱えるにはあまりにも重すぎる空白である。
2015年の出版時に40歳だった男爵は、あとがきで自分の半生を振り返っている。
「中学受験に合格→中学校で留年→引きこもる→苦し紛れに高校受験するも、不合格→五年間、二十歳まで引きこもる→大検取得→大学合格→二年足らずで失踪→上京→芸人として、下積み生活始まる→借金で首回らなくなる→債務整理→やっと一回売れる!!……そして、今」
「余ってしまった」はずの人生は、紆余曲折がありながらも、お笑い芸人という道にたどりついた。現に壁にぶつかり、悩んでいる人に対して安易な慰めは禁物だが、たとえ歩みを止めた時期があったとしても、生きてさえいれば何かが起こるかもしれない。そんな端的な事実を、『ヒキコモリ漂流記』は教えてくれる。
確かに、男爵の人生は極端ではある。しかし、就職に失敗したり、恋愛が上手にできなかったり、会社をクビになって定年まで勤められなかったりと、どこかの段階で「卒業→就職→結婚→定年」という道から外れてしまう可能性は誰にでもある。
そもそも、現代の日本社会では、「普通の人生」を歩むこと自体が困難になっているのだ。
内閣府男女共同参画局の『平成26年版 男女共同参画白書』では、男性の置かれた状況について「男性は、建設業や製造業等の従来の主力産業を中心に就業者が減少し、平均所定内給与額も減少しているが、労働力率では世界最高水準となっている」との指摘がなされている。
平たく言えば、これまで多くの男性が雇用されてきた職場は失われつつあり、給与も減る一方であるが、それでもほとんどすべての男性は働き続けているということになる。
男性の生き方を変えていこうという気運は、過労死が社会問題になった1980年代後半やリストラに注目が集まった2000年前後にも高まったが、「男性は仕事中心の生活をするべき」という強固な「常識」の前に、その勢いは長く続かなかった。
進んでも退いても出口が見つからなくなりつつある現在。自覚しようとしまいと、男性の生き方の見直しは、すべての男性が当事者として考えなければならない問題になっている。
(文=田中俊之/武蔵大学社会学部助教)
『男が働かない、いいじゃないか!』 「朝起きて、“会社行きたくないなあ”と考えるのは、正常な思考回路です!」 「無職は恥ずかしくありません」 「男なら夢を追いかける!? 止めときなさい」 雑誌・テレビ・ラジオ・ネットニュースのコメンテーターに出演多数の人気大学教員による、若手ビジネスマンへの心安まるアドバイスの数々!
『不自由な男たち その生きづらさは、どこから来るのか』 男は不自由だ。子どもの頃から何かを成し遂げるべく競争するように育てられ、働くのが当たり前のように求められてきた。では、定年を迎えたら解放されるのか。否、「年収一千万の俺」「部長の俺」ではなくなったとき、「俺って何だったんだろう」と突然、喪失感と虚無感に襲われ、趣味の世界ですら、やおら競争を始めてしまうのだ。本書は、タレント・エッセイストとして活躍する小島慶子と、男性学の専門家・田中俊之が、さまざまなテーマで男の生きづらさについて議論する。男が変わることで、女も変わる。男女はコインの裏表(うらおもて)なのだ。