近年、ずいぶんと「季節感」が薄れてきて、食べ物の旬もよくわからなくなりました。便利にはなったものの、何か物足りないと思っているのは、筆者だけでしょうか。
筆者が子供の頃は、暮れになると各家庭で餅つきをしておりました。ひとつの臼を近所の何軒かが日替わりで使い、暮れの何日かは、毎日どこかの家が餅つきをしていました。年が明けたら明けたで、初詣に始まり、三が日は新年の挨拶に親戚が集まり、七草粥を食べた頃、なんとなく正月気分が落ち着いて日常に戻っていくという感じだったのを憶えています。
子供たちは、外に出ると羽根つきや凧揚げに夢中になり、家の中ではカルタや双六で遊んでいました。やがて大相撲の初場所が始まり、まだ寒い中でも気分は少しずつ春めいていく、その感じがまたいいものでした。エンターテインメントの数が少なかったということもあるのでしょうが、年6場所ある大相撲は、それぞれの季節で楽しめる、とても大事な行事だったのです。
そもそも相撲は「相撲の節(すまいのせち)」という神事が起源で、力士が踏む「四股(しこ)」は、地力を高めるための呪術的要素があるとされていました。要するに、五穀豊穣を祈る儀式だったのです。それが時代とともに変化して、寺や屋敷などを建設する時に、力士が地固め式の作法として四股を踏むようになっていきました。
最高位といわれている「横綱」は、本来は地位ではありません。最高位である大関のうちで秀でた者が、土俵入りの際に白い注連縄(しめなわ)を締めて出ることを許されたのですが、それを指して「横綱」と呼ぶようになったのです。注連縄というのは、神の領域と、現世(うつしよ)の領域を分けるものであり、注連縄が張ってあるところは神聖で、すなわち神様がいらっしゃる場所ということになります。つまり、横綱は“神の領域”なわけです。
正月が近づいてくると、家の中に飾る注連縄を買う方が多くいますが、その方々のうちの何人が注連縄の意味を理解しているのだろうと、いらぬ心配までしてしまいます。