この時、筆者が認識しておくべきだったのは、なかなか治らない、痛みを伴わない口内炎は舌がんの可能性があることだった。確かに、この患者も痛みはなかった。口内炎はアフタと呼ばれる口腔粘膜の「びらん」や潰瘍のことだ。激しい痛みを伴う。治療薬も存在するが、通常は1~2週間で自然治癒する。
ところががんによる口内炎は、なかなか治らない。そして進行するまで痛みがない。堀さんも夏に出来た口内炎が11月まで治らず、当初は痛みもなかった。あとから振り返れば、典型的な舌がんだ。ところが、堀さんはもちろん、歯科医もその可能性に気づかなかった。舌がんが胃がんや肺がんほど社会で注目されていれば、誰かが気づき、堀さんに助言しただろう。これをきっかけに、大いに認知を高めてほしいと思う。
では、堀さんの治療はどうなるだろうか。
手術を行い、その後に放射線や抗がん剤を加えた治療になるだろう。病期はステージ4と進行した状態だ。ただ、絶望する必要はない。がん研有明病院の報告によれば、ステージ4の舌がんの5年生存率は45%だ。長期生存が期待できる。がん治療は近年、急速に進歩している。免疫チェックポイント阻害剤ニボルマブも承認されている。
最後に舌がんの危険因子についてご紹介したい。舌がんに限らず、口腔がんの最大の危険因子はタバコだ。噛みタバコの消費が多いインドでは、口腔がんはありふれたがんだ。全てのがんの3分の2を占めるという報告もある。
近年、日本では禁煙が進んでいる。舌がんの頻度は減るはずだ。ところが、そうはなっていない。1970年代、日本ではほとんど舌がんはなかったが、その後、急速に増加した。この傾向は米国も同じだ。米国がん研究所の報告によれば、2008年から12年の間に白人男性の舌がん罹患率は年率で5.1%も増えている。その原因は不明だ。
さらに米国では若年者の舌がんが増えている。18年には米ヴァンダービルト大学の研究者、19年には米ラッシュ大学メディカルセンターの研究者が同様の研究成果を報告しているが、このような若年発症の舌がんではタバコとの関係は指摘されていない。また、咽頭に感染したヒトパピローマウイルスが口腔がんを起こすことが報告されているが、若年性舌がんでは関与は否定的だ。
堀さんは関節リウマチの治療中だった。治療薬であるメソトレキセートは、関節リウマチ治療中に悪性リンパ腫を起こすことが知られている。このような場合、メソトレキセートをやめれば、腫瘍は縮小・消失することもある。筆者が調べた範囲で、メソトレキセートと舌がんの関係について言及した論文はなかったが、今後の研究が待たれる領域だ。
このように舌がんについては、まだまだ不明な点が多い。堀さんの治療が成功すること、およびこれを契機に研究が進むことを願う。
(文=上昌広/医療ガバナンス研究所理事長)