日本の“もうひとつの”暦
さて、日本は天皇陛下が変わるたびに元号が変わりますが、欧米ではどうして変わらないのでしょうか。「自分の元号をつくる」と言い出す権力者が出てきても不思議ではないように思います。しかし、どんなに偉くなって、たとえ元号を制定するほどになっても、ひとりだけ叶わない人物がいます。それはずばり、イエス・キリストです。そして、その神の子・キリストにちなんだ元号があるから、それを変えるわけにはいかないのです。
それは、西暦です。「2020年東京オリンピック」などと使われる西暦です。「なんだ、知っていたよ」という読者の方々も多いかと思いますが、今年の西暦を正確に言うと、A.C.2019です。ちなみに、「A.C.」の語源は、ラテン語のAnno Dominiの頭文字で、その意味は、「主(=キリスト)の年」です。そこから1年1年カウントしているのが西暦です。しかも、欧米をはじめとしたキリスト教社会では、キリストは最後の救世主とされているので、未来永劫、元号が変わることはありません。ちなみに、「紀元前」を意味する「B.C.」は、Before Christ(キリスト以前)です。
しかし、これはキリスト教社会での話。イスラム教では、キリストは預言者のひとりでしかなく、ムハンマドが最終的な救世主とされているので、西暦ではなく「ヒジュラ暦」を使います。これは、ムハンマドがメッカからメディナに聖都を移した西暦622年を元年としています。
他方、日本は元号以外にも暦を持っていることをご存じでしょうか。明治5(1872)年に、日本も欧米に負けじと制定された「皇紀」です。正式には、「神武天皇即位紀元」という名前で、その名の通り神武天皇が初代天皇に即位した紀元前660年を元年とします。
昭和15(1940)年、皇紀2600年を迎えたことで、日本政府は欧米の主要国に祝賀の音楽の作曲を依頼します。英国はブリテン、フランスはイベールが作曲したというだけでも驚きますが、同盟国ドイツからは、なんと国を代表する作曲家であるリヒャルト・シュトラウスが曲を寄せたのです。さらに、イタリア、ハンガリーも加え、5カ国の世界的作曲家が各々「皇紀2600年奉祝曲」を作曲し、同年12月7日と8日に東京歌舞伎座で初演されたのです。
昭和15年といえば、ナチス・ドイツはフランスに侵攻して6月にパリを陥落し、英国とも戦争をしていました。日本はドイツ、イタリアとともに「三国同盟」を結んだ年です。そんな年に、東京歌舞伎座の中では、国々の間のいさかいも関係なく、音楽が鳴り響いたのです。
そして実は、もう1カ国、日本が作曲を依頼した国がありました。それはアメリカ合衆国です。しかし、残念ながら国交悪化を理由に断られてしまいます。そして、翌年の12月8日、日本はアメリカ、英国と開戦します。
もし、アメリカが作曲を承諾してくれていたとしたら、作曲家は誰になったでしょうか。ちなみに、アメリカではグレン・ミラーが、代表曲『イン・ザ・ムード』を作曲していたころで、最盛期を迎えていました。
(文=篠崎靖男/指揮者)