しかし、そうした貧困に陥りかねない低所得者に対する支援では、魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えるのが今日では定石だ。
自助努力を放棄した人に金を渡すだけなら、金を受け取った側はいつまでも他人の金を頼りにしながら貧しい生活を続けるしかないからだ。
事実、「今後もCAMPFIREを使うか」という筆者の質問に対して、phaさんは「いろんな人を巻き込んで、いろんな人に助けてもらって何かやりたいって思えるプロジェクトがあったら、利用する」と自身のブログで発言している。
「ニート」を自称し、他人が働いて得た金に依存し続ける。それが自己演出の「ネタ」であろうと、そんな構えに共感することは、共感者みんなで寄ってたかってphaさんの貧しさを温存し、彼をさらにジリ貧にさせてしまう「共依存」の恐れすらはらんでいる。
クラウドファンディングがプロジェクト内容に対する社会的な信頼関係で成り立つ資金調達のチャンスなら、お金を求める側も提供する側も、そしてその取引を承認する運営者も、すべてに社会的責任が問われるのは言うまでもない。
何を価値として社会に提供し、取引マージンを堂々と受け取るのか。資金を提供することで、プロジェクト起案者に対してどんな影響を及ぼすのか。二者間の取引に公序良俗に反するものはないかという実情を確認して信頼を確保するのに、適切なコストとはどんなものか。
社会的責任を負おうとする企業こそが、自社の利益の最大化や事業の持続可能性を培っていく。これは、ISOでSRが語られ始めた今日、世界のどこの企業でも共通の課題である。
この課題に向き合うなら、プロジェクト案件は、それを見る多くの人にとって信頼に足る内容でなければならない。新規プロジェクトの実情を確認するために時間的かつ経済的なコストをかけようとすれば、「ふざけた表現の案件が増えると費用対効果は悪くなる」と気づける。しかも、たいした金が集まらないなら、ゆくゆくそうした案件は却下せざるを得ないだろう。
つまり、現状ですら儲かっていないクラウンドファンディングが今後、儲けをきちんと守っていきたいなら、プロジェクト案件に対する実情確認のコストの最適解を見積もり、相応のコストをかけても十分に儲かる損益分岐点を探していく必要があるのだ。
phaさんのプロジェクトに本当に必要だったもの
生保の受給資格条件が日に日にうるさくなり、消費税率が上がって暮らしにくくなる今日、社会的弱者の尊厳や命を守るためにも、マネタイズの下手なクリエイターがアートを作るにも、資金調達が容易なクラウドファンディングは貴重な民間サービスだ。
この新しいサービスが市民社会に定着していくには、集める資金の用途を無制限に拡大解釈できるプロジェクトには書き直しや追記を指導したり、法規制を避けるための業界ルールを作るなどして、出資者からの信頼を積み上げていく不断の努力が運営者に求められる。
そこで、改めて考えてみてほしい。