全事件での取り調べ可視化を
ところが、録音のない日の取り調べなどについては、裁判所はAさんの主張をことごとく退け、K刑事の言い分を受け入れた。たとえば、9月9日の最初の取り調べの時に、黙秘権の告知がなされず、「犯罪者には黙秘権はないで」などと言われたとする点。
判決の中で、
(1)黙秘権告知をした、とK刑事が証言している
(2)取調官が黙秘権告知を忘れるとは考えにくい
(3)Aさんが説明を受けたことを忘れている可能性もある
と判断している。そして、9日に告知しているのであれば、11日にあらためて告知しなくてもよいとして違法性を認めなかった。
11日には、裁判所自身が「社会通念上相当性を逸脱した態様で供述や自白を強いるもの」と判断するような取り調べを行ったK刑事が、その2日前には適切な手続きを踏んだ適法な取り調べを行ったと、どうして言い切れるのだろうか。
警察官と取り調べを受けた側の言い分が対立する時、裁判所が今なお決定的な証拠がない限り、警察側の言い分を信用するという対応をしているのでは、違法な取り調べはなくならないのではないか。いくら批判されても問題のある取り調べがなかなかなくならないのは、裁判所にも責任があると言わざるを得ない。裁判所のそういう態度が、警察の違法な取り調べを助長しているとさえ言えるのではないか。
違法な取り調べを防止するためにも、取り調べの全過程録音録画(可視化)が期待されているが、その実現への歩みは実に遅々としている。
警察では、裁判員裁判対象事件と被疑者が知的障害者である場合に限って、取り調べの録音録画の試行を行っているが、取り調べのすべてを記録するよう義務づけているわけではない。そのため、全過程の録音録画を行っている事件は2014年度で、対象事件のわずか17%だった。
現在、参議院で審議中の刑事訴訟法改正案でも、全過程の録音録画を義務づけているのは、裁判員裁判対象事件と検察の独自捜査事件だけ。しかも逮捕されて身柄を拘束されている被疑者に限られる。Aさんのように、傷害容疑で逮捕されていない被疑者については、可視化論議ではまったく蚊帳の外だ。
そのうえ、録音のような決定的な証拠がなければ、違法な取り調べがあっても裁判所に認めてもらえないのであれば、取り調べを受ける側からするとAさんのように自ら録音する「自己可視化」して決定的証拠をつくって身を守るしかない。
ところが、警察や検察は庁舎管理権をタテに、取り調べられる側が録音することを認めない。録音機の持ち込みを警戒して、取り調べを始める前に所持品検査や体に触れて身体検査を行うこともある。Aさんの取り調べでも、そうした検査が行われる時もあったが、幸い9月11日には「持ちもん、ここに置いて」と言われただけで体に触れる検査は行われなかったため、ICレコーダーは発見されずに済んだ。
ちなみにAさんは裁判の中で、警察がAさんの同意を得ないまま身体検査を行い、K刑事の同僚が靴の中まで指を入れて調べた、と主張したが、裁判所はその事実も認めなかった。
このように裁判所が警察に甘い対応を続けるのであれば、やはり法制度を整えるしかない。裁判員裁判対象事件に限って、身柄拘束された被疑者の取り調べだけを可視化して事足れりとするのでなく、それ以外の事件や任意の取り調べ、参考人の事情聴取を含めた、できるだけ広い範囲で可視化を目指すべきだ。そして、それが実現するまでの間、警察や検察は被疑者や参考人が自身の取り調べを自己可視化することを妨げてはならない。
(文=江川紹子/ジャーナリスト)