結局、翌朝4時に取り調べから解放され、しばらく署で仮眠した後、信助さんは街へ出た。暴行被害と長時間の容疑者扱いに疲労困憊し、心神喪失していたのか通い慣れた母校、早稲田大学近くの東西線早稲田駅まで歩いた。
信助さんの帰宅を心配する母親の原田尚美さん(59)に、「息子さんが電車にひかれ危篤だ」と告げる電話がかかってきた。09年12月11日午後9時3分、病院に駆けつけた尚美さんの目の前で信助さんは息を引き取った。尚美さんが息子の声を聞くために遺品であるICレコーダーのスィッチを押すと、警察署で行われた取り調べの一部始終が記録されていた。それはもの言えぬ信助さんが遺族に託した「潔白と違法捜査の証言」だった。
尚美さんは息子の死の原因は警察の違法捜査であると確信。尚美さんは新宿警察に抗議し事情説明を求めた。すると新宿署は信助さんの死亡から49日後の10年1月29日に信助さんを痴漢の容疑者として書類送検した(東京都迷惑防止条例違反)。
被害者が存在しないのにもかかわらず、信助さんが送検されたのはなぜか。それは、新宿署が尚美さんの提訴を予測して、新宿署に不利な違法捜査の証拠を不開示とするのが目的だといわれている。被疑者死亡の場合は不起訴処分となり、送致書は不開示扱いとなるのを逆手にとった「証拠隠滅」が目的の送検だったのだ。これにより、信助さんは社会的に痴漢事件の被疑者として名前が残る事になった。
国家賠償訴訟へ
尚美さんは11年4月26日、東京都(警視庁)に対して1000万円を求める国家賠償訴訟を提起した。そして少しでも事件の手がかりをつかもうと新宿駅で目撃者探しを始める。やがてビラ配りやインターネットを通じての呼びかけに応じて、目撃者の女性が現れた。尚美さんは事件当日、現場で信助さんが茶髪の若者グループ数人から激しい暴行を受けていたという証言を得る。信助さんが集団暴行の被害者であることは、記録からも目撃証言からも裏付けが取れたのだ。
「まるで刑事ドラマ。新宿署が裁判対策で『特命捜査本部』を設置」
尚美さんの弁護を引き受けた清水勉弁護士(さくら通り法律事務所)は、「信助さんが痴漢をしている証拠を出せ、出せないならこの事件は捏造だ」と被告に迫り、仕方なく被告側の弁護士は検察に送致記録の開示を求め、新宿署が検察に送った送致記録は開示された。これにより新宿署のずさんな捜査方法と信憑性に欠ける証拠物件が次々と明るみになった。送致書によると、新宿署は信助さんの自殺を受けて09年12月14日に「原田信助さんの痴漢容疑を捜査する」と「特命捜査本部」を設置している