アメリカ大統領選においても、大衆にとっての現実は、身近で目立つ移民の存在と、アメリカ国内で実際に起こったテロだ。行ったこともない海外の平和と民主主義の危機、あるいは戦争による難民なぞ、リアルに感じられない。そういう大衆のリアリズムを知識層が理解しない限り、今後も別のトランプ氏が出てくるだろう。
日本においても、舛添氏の金銭感覚が現実離れしていることに大衆が驚きあきれ、最後は怒りに変わって辞任に至った。しかし、これも途中から大衆とマスメディアとの煽り煽られる相乗効果で、非難が現実離れした結論に向かってしまった。結局、都民としては37万円の家族旅行や、900万円の芸術作品購入を咎めたことによって、50億円かかる都知事選をやるはめになってしまった。攻めるほうの金銭感覚も現実離れしてしまったというほかない。
アベノミクスの「実績」
日本の政治においても、アベノミクスに関する議論が行われている。「金利を下げたことで円が安くなり、株が上がった。どうだ、すごいだろう」という与党。しかし、「今は円が高くなって株が下がった」と批判する野党。
しかし、輸出企業に勤めていなくて、資産もたくさん持っていない大部分の大衆にとっては、低金利も円安も株高も、自分の暮らしに直接の影響を与える身近な現実ではない。それが、アベノミクスでよくわかった「実績」だ。そのことばかりを議論すること自体が、リアリティに欠けている。
確かに、消費税増は財布に直撃した現実だった。あれだけ重い負担を感じながら、5%から8%に上げたけれども、財政赤字が少しは良くなったという話も聞かない。繰り返すが、リアリストは理屈で予想できる未来ではなくて、現実に起こった実績しかみないのだ。
このようにアベノミクスに関する与野党の議論がリアリティを欠いて、大衆の心から離れていくと、イギリスやアメリカのように国民みんなにとって奇妙でコストの高い結果になってしまうように思える。そう、都知事騒動のように。
元FRB(米国連邦準備制度理事会)議長のグリーンスパンは、「バブルかどうかははじけてみないとわからない」と述べた。衆愚政治だったのか、健全な民主主義だったのかは、結果が出たあとからしかわからないのではないだろうか。
(文=小林敬幸/『ビジネスの先が読めない時代に 自分の頭で判断する技術』著者)