日本に住むほとんどの人は今、「空前絶後」の政府の対応の遅さにあきれ怒っていることだろう。
新型コロナウイルス感染症の発症者が国内で公式に発表された1月16日から5カ月。一世帯に2枚配布されるはずのマスクがようやくほぼ全世帯に行き渡ったが、一律10万円の給付はおろか、いまだに申請書すら届いていない家庭も多い。
もはや自力では這い上がれない人が圧倒的に多くいる状況で、外出自粛を実質強制されていた4月12日から、「補償せよデモ」が続いている。
コロナ大不況と生活苦をもたらしている元凶は「補償なき自粛要請」。その核心を追及するデモにもかかわらず、テレビなどの大手メディアはこれまでの4回の行動を伝えてこなかった。
しかし、コロナの影響で失業したり窮地に陥った人々は、引き続き声をあげている。5月31日の日曜日、第5弾のデモが渋谷ハチ公前広場から出発した。呼びかけたのは、4月上旬に働いていたキャバクラが休業になり職を失ったヒミコさんや、コロナでバイトを失った現役男子大学生ら。そのヒミコさんが言う。
「デモを呼び掛けたのは、私自身の生活苦から。でも、こうなったのはコロナだけのせいじゃないです。そもそも、ちょっと休業しただけで転がり落ちたら這い上がれないのは、貯蓄がないから。なぜ貯蓄がないのか。それは非正規労働者だから。
非正規労働者や貧困者を増やした政治がおかしい。時給1000円の仕事を選ぶか、時給1100円の仕事を選ぶかの自由しか私たちには与えられてない」
施設を使わせないのに「施設費」を徴収する大学
美術大学に通う学生も参加し、マイクをとって発言した。
「オンライン授業といっても美術大学の場合は難しい。たとえば彫刻の材料は学内にあるし、どうやって実習をやれというのか。普通の大学より美術大学の学費は高く、年間150万円くらいは普通。そのうち実習費や施設費を30万円もとられています。やりもしない実習の費用を返してほしい」
別の大学生も、「学生に特別支援するというが、全員が受けられるわけではありません。僕も申請を出しましたが、ものすごく複雑でどうなるかわかりません。実際に給付を受け取れる学生は1割の可能性という報道もあります」と、実際に申請した感想をもらず。
学生団体によるアンケート調査では、親の収入源やアルバイトを失ったことで学業どころか生活すらできず、5人に1人が退学を考えているほどだ。
元凶は自粛要請と非常事態宣言
コロナ大不況が弱者を直撃しているのは、コロナウイルスという自然によるものだけでなく、少なくとも日本では人災の側面が大きい。
第1に「補償なき休業」。この政策により殺された(自殺した)人が何人もいる。
第2に4月7日に発せられた緊急事態宣言。続く対象地域の全国への拡大。そして5月4日の期間延長。
第3に、2番目と連動した「接触機会の8割削減」である。
ここで重要なのは、感染ピークは3月27日だったこと。その時点と同じ条件が続けば感染はゼロに近づいていくため、4月7日の緊急事態宣言は意味がなかった。感染して2週間から3週間後にPCR検査で陽性が判明する。ということは、4月中旬くらいまでには感染数のピークが3月27日だと判明していたのである。
百歩譲って4月7日の緊急事態宣言発出はやむを得なかったとしても、ピークアウトしているとわかった時点で、ただちに方針を転換すべきだったろう。3月末にピークが来ていていると明らかになってもなお、緊急事態を解除するどころか延長したことで、膨大な人々の生活が破壊されたのだ。
専門家委員会の委員も政府も、今に至るまで、この点について釈明も謝罪もしていない。
“コロナ人災被害者”たちが「安倍ヤメロ」と叫ぶ
これまで5回にわたって「補償しろデモ」に集まってきた人々は、「コロナ人災被害者」と言える。渋谷・ハチ公前広場からの出発した約70人の参加者は、渋谷の繁華街を通過して神山街、富ヶ谷、松濤の高級住宅地を練り歩いた。
一般的にデモは繁華街の表通りを歩くものだが、狭い道の住宅街デモは妙な訴求力がある。デモコースの中盤は4~5階建ての中層マンションが多く、その窓やベランダからデモを眺める人が多かった。
富ヶ谷一丁目に差し掛かると、すぐ近くにある安倍晋三首相私邸に首相本人が滞在している、という情報がデモ隊の中に飛び込んできた。
すると、「補償しろ」と言ってきた参加者たちは一斉に「安倍ヤメロ」コールに切り替え、大きなシュプレヒコールが沸き起こった。安倍首相私邸近くでは警察官が阻止戦を張って、通行できないようにしていた。呼びかけ人のヒミコさんは、そのバリケードに向かって安倍首相私邸の方向に歩みを進め、阻止しようとした警察官と対峙した。
コロナ以前から苦しい生活を強いられて、これ以上、一歩も下がれないところまで追い込まれた人たちの思いが現れたデモである。出発前に主催者のヒミコさんはこう言っていた。
「生き残るためには闘わなければならないと思います」
(文=林克明/ジャーナリスト)