10月、日本人研究者の3年連続のノーベル賞受賞で日本中が沸いたものの、すぐに「日本人のノーベル賞受賞がこれからも続くかどうかは疑問」という懸念の声が上がるようになっている。昨年の梶田隆章・東京大学教授(物理学賞)や今年の大隅良典・東京工業大栄誉教授(医学・生理学賞)が受賞した背景には、1980~90年代の日本人研究者のがんばりがあった。
では、日本の科学研究は、今もノーベル賞級の研究を次々と生み出しているだろうか。
科学研究の成果は、学術雑誌に論文というかたちで発表され、世界に認められることになる。ところが、日本人研究者が発表する論文数は、2004年をピークに減少傾向が続いている。先進諸国や成長目覚ましいアジアの国々のなかで、論文数が減少傾向にあるのは日本だけである。
発表された論文がどれだけの科学的価値を持つのかをみる指標のひとつが、論文の「被引用回数」である。他の研究者の論文にどれだけ引用されているかをみるこの指標でも、日本人研究者の論文はアメリカやヨーロッパ諸国に差をつけられつつある。
つまり、21世紀に入ってからというもの、日本人研究者の論文は量と質の両面で大きな問題を抱えているのである。
日本人研究者の質が低下したとは考えられない。研究者を取り巻く環境が厳しくなっているのである。大隅氏が「基礎研究を大事にしなくてはいけない」と語った背景には、研究の現場での深刻な状況がある。大学の現場では、研究室の運営自体が難しくなるという事態が珍しくない。
資金不足
21世紀に入ってからの日本の科学技術政策は、「役に立つかどうかわからない」基礎研究よりも「経済活動に結びつく」イノベーション創出に力点が置かれてきた。そうしたなかで大学での研究活動にボディーブローのように効いているのが、06年から始まった国立大学への運営費交付金の年1%の削減である。
運営費交付金は大学の教官が学生の指導、研究のネタ探しや立ち上げなどのために自分の裁量で使えるお金だが、これがどんどん減っているのだ。研究の道筋がたてば、基礎研究分野に配分される競争的資金である科研費(科学研究費)をとりにいくことになる。大隅氏のオートファジー研究を支えたのも科研費であった。ところが、この科研費も最近は増額されていない。一方、運営費交付金がままならないこともあって科研費の応募数は増え、その結果、採択率が低下している。つまり科研費を使いづらくなっているという事態が発生している。