元フジテレビのアナウンサーで、現在はフリーとして、夕方のニュース番組『Live News it!』(フジテレビ系)のメインキャスターとして活躍している加藤綾子アナウンサーは、日本を代表する音楽大学のひとつである国立音楽大学音楽教育学科を卒業し、中学・高校の音楽の教員免許を持っている珍しいアナウンサーです。幼少期からピアノを習い、声楽や三味線まで勉強したとのことで、声に美しさと張りを持たれているのは、そんな経歴があるからでしょう。
そういえば、人気番組『ブラタモリ』(NHK)で、絶対音感を持ったアシスタントとして、タモリさんの前でピアノも見事に弾きこなし、現在は『首都圏ネットワーク』(NHK)のメインキャスターを務めている林田理沙アナウンサーも、東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、東京藝術大学大学院音楽研究科修士課程を修了という、音楽の経歴としてもずば抜けているアナウンサーです。
音楽大学とは、音楽家の修業という徒弟制度を、なんとか組み入れている大学です。とはいっても、大学1、2年時は一般大学の教養課程と同じく数学や英語、理科、社会、体育までも履修しますし、そうでなくては大学として文科省は認可してくれません。しかし、同時に音楽理論を勉強したり、音を聴きとるトレーニングはもちろん、一番大切な師匠のレッスンでは、毎週必ずマンツーマンでしごかれます。師匠といっても、必ずしも教授や准教授に師事するわけではなく、自分に合った師匠に教わります。むしろ、習いたい師匠がいることが、大学選びの基本ともなります。その結果として実力が向上すれば、それでいいというのが音大生なのです。そもそも、希少な楽器を専攻した場合、非常勤講師しかいない場合も多々あります。
そんな音大生の卒業後は、大学のレベルにより就職活動に違いが出る一般大学とは違い、あくまでも本人の実力勝負です。たとえば、オーケストラに入りたいと思ってオーディションを受けに行ったとしても、出身大学はまったく関係なく、平等に“音”だけで判断されます。以前、僕が常任指揮者を務めていた日本のオーケストラで、有名音楽大学出身者がひしめくオーディションのなかで唯一参加していた一般大学生が見事に合格したことがありました。もちろん、一般大学に通いながらも懸命に練習し、専門家のレッスンを受け続けてきた優秀な方でしたが、異色な存在とはいえ、音楽は実力勝負だということがよくわかります。
ちなみに、高校や大学を出ようが出まいが、もっといえば大学在学中であっても、オーディションで認められさえすればオーケストラに入団は可能です。僕の友人のトランペット奏者などは、大学4年時にはオーケストラで活動しながら、音楽大学に通っていたそうです。
有名音大を出てもオーケストラ就職は困難
そんな音楽大学ですが、卒業にあたっての卒業論文はもちろん、ゼミ等での論文もありません。音楽を学問として研究している音楽学の専攻生は例外ですが、楽器や指揮を専攻している学生は、論文の代わりに演奏によって評価を受けるのです。そう聞くと、「なんだ、大好きな楽器を演奏するだけで楽そうだなあ」と思われるかもしれませんが、実際にはとんでもなく大変です。
試験の前には大学の師匠にしごき抜かれ、もう顔を見るのも恐ろしい師匠も含めた大勢の教員陣の前で演奏して評価されます。演奏の実技試験は一発勝負で、一般大学の論文のように教授に突き返されて書き直すようなことはできません。たとえ、今まで間違えたことがなかった音を間違えてしまっても、一般大学の論文のように教授に突き返されて書き直すようなことはできません。音を間違えただけでなく、「この学生は本番には弱い」と評価が下がるだけです。まるでコンクールのようですが、次に弾く順番の学生も入り口のところで真っ青になって、緊張のために冷たくなった両手をこすって温め続けています。冷たくなった指では、楽器を弾くことができないからです。
やっと卒業論文代わりの実技試験が終わってホッとしたのもつかの間、師匠に電話をしてみたら、褒められるどころか「どうしてあそこを間違えたの!」と叱られたり、いろいろなことがあります。そんなことを乗り越えて、「卒業後はどうするのか?」と聞かれても、同じく音楽大学を卒業した僕にとってもわかりません。音楽大学に入学した頃に、「卒業後はオーケストラに入団したい」という大きな夢を描いていても、実際には世界のどこでもオーケストラの定員はいっぱいで、誰かが定年か諸事情で辞めない限り、団員募集はありません。特に現在は、有名な音楽大学をトップクラスで卒業しても、オーケストラに入れるか入れないかという状況だそうです。
多様化する音大生の進路
音大生は、教員になって音楽を教えるという道もあります。そんなこともあり、教員免許を取得するために教職課程を履修する学生は、一般大学とは比べものにならないくらい多いのです。何を隠そう、僕も中学・高校の音楽教員免許を持っています。音楽大学で教えている友人に話を聞いてみると、最近では音楽大学を卒業しても音楽以外の企業、たとえば自動車メーカーに入社したりする学生も当たり前のようになってきているそうです。
そんななか、音楽大学出身にもかかわらず、日本を代表する一般企業に入社し、トップまで登りつめた人物がいます。それは、ソニーの元社長、故大賀典雄さんです。彼の経歴は、なんと東京藝術大学音楽学部声楽科、その後、ベルリン国立音楽大学も卒業という、声楽家として華々しいもので、実際に卒業後はバリトン歌手として活動をされていました。
そんな大賀さんですが、若くから録音機器にも強いこだわりを持っており、ハードユーザーとしてたびたびソニーにクレームをつけていたことが社内でも有名だったそうです。そんなある日、いつもと同じくクレームをつけに本社まで行ったところ、その的確な指摘に感心したソニー創業者の盛田昭夫、井深大両氏に、「ソニーに入らないか?」と粘り強く説得され、「歌手との二足のわらじでよければ」と、とうとう折れてしまいます。入社1年目で製造部の部長に抜擢され、その後、広告・デザイン部長としてソニー・ブランドの礎を築き、そして取締役に抜擢されることになります。そんな異色の社長です。
しかし、彼は世界のソニーのトップになっても、音楽はやめませんでした。晩年はオーケストラ指揮に興味を持ち、東京フィルハーモニー交響楽団を指揮したのをきっかけに、世界中のオーケストラを指揮。その音楽活動はソニーの特別イベントではありましたが、なんと世界最高峰のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団で『第九』まで指揮なさったのです。
(文=篠崎靖男/指揮者)