「稀勢の里関には、かつて2回ほど母校訪問をしていただいたことがありまして、その際に押していただいた手形やサインしていただいたバット(※稀勢の里は元野球部)などは、ご両親を通じてお借りしたものとあわせて、長山中学校内の資料室に展示してあります。
市民栄誉賞の授与式につきましても、こちらの勝手な都合ではございますが、できれば再び母校を訪問していただき、後輩たちの前で……というシチュエーションが希望です。しかし、稀勢の里関もかなりお忙しいですから、継続してお願いしていこうという状況になっております」(同)
出生地の芦屋市は稀勢の里に「市長特別賞」贈呈
稀勢の里が少年時代のほとんどを過ごしたのは龍ケ崎市だったにもかかわらず、後援会事務局が牛久市にあることについては、どのような見解なのだろうか。
「稀勢の里関が中学を卒業し、鳴戸部屋に入門したときに住んでいたのは牛久市でしたから、後援会もそのまま牛久市で結成することになったのではないでしょうか。また、龍ケ崎市にはもともと『式秀部屋』という相撲部屋がございますので、そういう配慮もあって事務局の開設が見送られたのかもしれません。
私どもにも、そのあたりの深い事情まではわからないのですが、ご存じのように、龍ケ崎市には稀勢の里関の通っていた幼稚園や小中学校がございます。ご本人にもご両親にも『後輩のために』ということで、以前からいろいろとご協力をいただいてきました。そのつながりを大切にしようという姿勢は今後も変わりませんし、牛久市ともお互いに仲良く横綱を応援していければ、という考えですね」(同)
では、「お互いに仲良く」ということで、この先、龍ケ崎市と牛久市がなんらかの合同イベントを開く予定はあるのだろうか?
「今のところ、一緒に何かの事業をやろうというような計画は具体化しておりません。ただ、2月に牛久市で行われた祝賀パレードには龍ケ崎市の市長も参加していますし、将来的に2つの市で連携する可能性はあると思います」(同)
それぞれの応援スタイルに違いはあれど、稀勢の里の活躍を長きにわたって支えている“育ての親”という意味においては、龍ケ崎市も牛久市も同程度の貢献を果たしてきたのかもしれない。
なお、そもそもの“生みの親”である芦屋市も、完全に距離を置いているわけではなく、3月には稀勢の里に「芦屋市長特別賞」を贈っている。出身地をめぐる三つ巴の戦いなど、好角家たちは望んでいないだろうし、いずれ3つの自治体が稀勢の里の応援のために手を組む日も来るのかもしれない。
(文=森井隆二郎/A4studio)