小池批判を展開する真意とは
–1989年に上梓された『賤業としての政治家』(飛鳥新社)を拝読しましたが、あの時よりも政治状況はひどくなっていると思いますか。
舛添 本当にひどくなりました。当時は「岩波文化人」に代表されるような進歩的知識人に対して、我々のような保守派言論人と意見を戦わせました。そこに健全性があったと思います。
当時、産経新聞に「執筆してほしい」と頼まれて書いていましたが、それはリベラルへの対抗軸でもあったのです。しかし、今の産経新聞は読むに耐えませんし、広告も嫌韓本や嫌中本が多く、うんざりしています。
私の立ち位置はまったく変わっていません。しかし、劇場型政治が続いた結果、いつの間にか私が左翼と印象操作をされるようになったのです。そもそも、ボランティア制服の件でも叩かれましたが、あの制服にはありとあらゆるところに日の丸が入っています。ところが今の制服にはまったく入っていません。それを右翼が怒らないということは、彼らの実態は“エセ右翼”だと思います。
–彼らにとっては、朴槿惠韓国大統領(当時)と握手したことが気に入らない点だったと思います。
舛添 大統領よりも背が高い私は、深々と頭を下げなければ握手ができない事情もありますし、私は都知事で相手は大統領ですから、敬意を払うのは当然のことです。この握手シーンを韓国側が国威発揚に利用するのはおとなげないのですが、嫌韓派の政治勢力が「屈辱外交」と批判のトーンを高めることはポピュリズムの極みです。
先日、天皇・皇后両陛下は高麗神社を参拝しました。高麗神社は古代渡来人ゆかりの神社です。両陛下とも大変、開明的なお方ですので、排外主義に対する抗議への思いを馳せたのではないでしょうか。本来の右翼であれば、陛下の大御心を何よりも大切に思わなければならないはずです。
–ツイッターで小池氏を批判している真意は、どこにありますか。
舛添 私はヒトラー研究を行ってきました。メディアファシズムの危険性を訴えています。いまやマスコミはすべて同じような論調で、異なる言論を提起すると翌日から干されてしまいます。先日まで小池氏賛美にあふれていましたが、小池氏批判が飯のタネになると思えば批判する。つまり、マスコミも刹那主義になっているのです。
世界中の言論は狂気に満ちています。私はアメリカの友人に、「今度の都知事はどのような人物か」と聞かれたので、「アメリカのドナルド・トランプ大統領のような知事」だと答えました。小池氏は、右も左も利用できるところは利用し、人種差別的であり、見るに見かねているというのが実情です。
このような全体主義的な言論で私を都知事から追放した都民の皆さま、「目が覚めましたか?」という思いもあります。マスコミは私に対して、さんざん人格攻撃を行ったにもかかわらず、誰ひとりとして謝りに来ません。私は、国、東京都、組織委員会の三位一体で東京オリンピック・パラリンピックの準備を推進してきましたが、小池氏はその信頼関係をすべて破壊しただけではなく、東京都の重要な施策も頓挫しています。
ツイッターには検閲がありません。そのため、今の小池氏の問題点についても触れていますが、幸い大きな反響があります。このような劇場型政治に基づくポピュリズム政治を、一刻も早く終わらせなければなりません。そういう思いからツイッターでの発信を行っています。
–ありがとうございました。
(構成=長井雄一朗/ライター)