東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の発生から10年が経過した。その節目となる11日、東京都千代田区の憲政記念館で開かれたシンポジウム「原発ゼロ・自然エネルギー100世界会議」(原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟)に菅直人元首相(立憲民主党衆議院議員、東京18区)が登壇、スピーチした。
小泉純一郎元首相の基調講演後に、登壇後にメッセージを求められた。菅氏は事故当時、政府対応の総指揮をとっていた人物だ。被災者に対する思いや、この10年間の日本の政策の是非などが語るのかと思いきや、自著である『原発事故 10年目の真実 始動した再エネ水素社会』(幻冬舎)の宣伝に終始したのだ。しかも政府主催の「東日本大震災十周年追悼式」への出席直後であることを述べ、なにが楽しいか不明だが終始笑顔を絶やさず喪服姿の自身のことを「つい先ほど、追悼式があったものですからこんなことできました」などと発言をした。
菅氏の発言は以下の通り。発言内容のママで書き起こした。下記動画では3:25:50ごろから始まる。
「最近、宣伝になりますがこんな本を書きました。『原発事故10年目の真実』。
事故の直後にも書いたんですが、この中身は、もう原発は事実上ゼロになっているんだ。この10年間で原発が発生した電力は全体の電力のたった3%です。原発は建設コストが3倍になりました。使用済み燃料の処理はできません。つまり全部もう無理なんですよ。将棋で言えば、完全に投了の場面なのに、『投了しない!投了しない!』といって原子力村が、がんばっているだけなんです。
では『原発無くても大丈夫か?』と言われた時に、それをこれに書いておきました!
最近、私が推奨しているのは営農型太陽光発電といってですね、日本の400万ヘクタールある農地をつぶすんではないですよ、つぶすんではないですよ!そこでお米や麦や大豆、野菜を作りながら、同時にその上空で間隔を置いてソーラーパネルをならべると計算上どうなるか。
(計算内容中略)
2兆キロワットアワー。これは日本が今使っている電気の2倍なんですよね。余ったのは水素にかえてまた使う。これを書きましたので、別に今日はこの宣伝できたわけでは決してないんですが、(編集部注:会場に)なんとしても来いと。
実はこんな黒い服を着ているんですが、つい先ほど、追悼式があったものですからこんなことできました(笑)」
シンポジウムを視聴していた福島の被災者「あきれた」
シンポジウムには菅元首相、小泉元首相のほか鳩山由紀夫元首相も来場し、3人で握手を交わす場面も見られた。シンポジウムは前出の動画のようにオンラインで公開された。原発事故で全町が避難指示区域に指定された福島県双葉町の70代の無職女性は、菅氏のスピーチに対する感想を以下のように語った。
「脱原発には賛成です。ただ、原発事故当時、政府の避難指示が二転三転して、町内に取り残された町民もいました。結局、菅元首相は脱原発の主張ばかりで、被災者に対する思いとか、当時の政府指示をどう省みるのか、自主的に語ってきたようには思えませんでした。でも10年の節目ですし、当時の国のトップとして、なにかお考えを語るのかと思ったのですが、まさかご自身の本の宣伝だけとは。あきれました。ほかの場所で語っているのかもしれませんが、政府主催追悼式の直後のスピーチなのに、と。
鳩山元首相が原発構内に溜まり続ける汚染処理水に対して、福島県民の目線で発言をしていたのと対照的でした。なにがおかしいのかよくわかりませんが終始、笑顔なのも理解できませんでした。原発事故後に福島では大量の関連死が発生しました。あたかも喪服を着ていることが、変なことのようにお話されているのも強い違和感を覚えました。シンポジウムが主で、追悼式はついでというようにも聞こえます」
本を出したことを自慢したかったのか。シンポジウムに参加したことがよほどうれしかったのか。小泉氏や鳩山氏と一緒にいるのが楽しかったのか。各地で見られた被災者の涙や祈りと、菅氏の笑顔はあまりにも対照的だった。